
タイプライターエクスキューズとは
「コンピュータを電子記録を残さないタイプライターのように使うのだから、21 CFR Part 11 は適用されない」――この主張は、業界で長く「タイプライターエクスキューズ(typewriter excuse)」と呼ばれてきた。本稿は、この言い分がどこから生まれ、当局がそれをどう扱い、なぜ今日では通用しにくくなったのかを、一次情報だけを頼りに年表として再構成するものである。結論を先に言えば、「タイプライター」という比喩は業界の発明ではなく、FDA自身が1997年の官報で使った言葉である。そして2003年のガイダンスは、この考え方を否定したのではなく、条件付きで公式に認めたうえで、条件を満たさない使い方を封じた。
typewriter の出現は官報に1件のみ、2003年ガイダンスには0件であった。しかもその1件は「タイプライターエクスキューズ」という語ではなく、FDAが自らの立場を説明するために用いた比喩である(後述)。したがって本稿では、この語を当局の用語としてではなく、業界の通称として用いる。検証の詳細は本文中に示す。
タイプライターエクスキューズとは何か
基本的な考え方
タイプライターエクスキューズとは、コンピュータシステムを「電子記録を保持しないタイプライターのような道具」として使用する場合、21 CFR Part 11 の適用対象外とする主張である。具体的には、以下のような使用方法を指す。
- コンピュータで文書を作成する
- 作成した文書を紙に印刷する
- 印刷物に手書き署名を行う
- 電子データは保存せず、印刷後に削除する
この方法では、最終的な記録媒体は紙であり、電子データは一時的な作成ツールに過ぎないという理屈である。まさにタイプライターで文書を作成するのと同じように、コンピュータを「印刷機」として扱うという発想である。
この比喩は誰の言葉か――官報全文を検索する
この主張を「業界が編み出した抜け道」と説明する解説は多い。しかし一次情報に当たると、話はそう単純ではない。
Part 11 の最終規則は 1997年3月20日の連邦官報(62 FR 13430–13466)に掲載された。この官報には、規則本文だけでなく、規則案に寄せられた意見とFDAの回答が延々と収録されている。その全文(約28万文字)を検索すると、typewriter はただ1箇所、コメント22への回答(62 FR 13437)に現れる。
――FDA「Electronic Records; Electronic Signatures」最終規則 コメント22への回答、62 FR 13437(1997年3月20日)/仮訳
つまり、「コンピュータをタイプライターのように使う場合はPart 11の対象外」という考え方そのものは、規則が公布されたその日に、FDA自身の言葉で示されていた。業界が後から考え出した抜け道ではない。
ただし、FDAは同じ回答の中で、境界線も明示している。
――同上、62 FR 13437(1997年3月20日)/仮訳
ここが分岐点である
- FDAが対象外としたのは「紙記録の作成に付随的(merely incidental)」なコンピュータ利用である。
- 対象外の条件は「タイプライターだと自称すること」ではなく、記録の実体が紙側にあることである。
- したがって「タイプライターエクスキューズ」という呼び名の「エクスキューズ(言い訳)」の部分は、条件を満たさないまま比喩だけを借用した運用に対する、業界内部からの皮肉として理解するのが正確である。
年表――ハイブリッド運用はいつ、どのように定着したのか
本稿の中心は、この年表である。日付・官報頁・文書名は、すべて連邦官報およびFDA・厚生労働省の原文で確認したものに限っている。
| 年月日 | 出来事 | 実務への影響 |
|---|---|---|
| 1991年 | 製薬業界の関係者がFDAと会合し、CGMP規則(21 CFR Part 210・211)のもとで紙によらない記録システムをどう受け入れるかを協議。FDAは「電子的な識別・署名に関するタスクフォース」を設置 | 電子記録を正面から扱う規則づくりが始まる |
| 1992年2月24日 | タスクフォース下部組織の報告書が、規則案の前段階としてANPRM(規則制定前の意見公募)の公示を提言 | ― |
| 1992年7月21日 | ANPRM 公示(57 FR 32185)。53件の意見が寄せられる | ― |
| 1994年8月31日 | 規則案 公示(59 FR 45160)。意見提出期限は同年11月29日 | ― |
| 1997年3月20日 | Part 11 最終規則 公示(62 FR 13430–13466)。コメント22への回答(62 FR 13437)で「本質的に手動のタイプライターやペンのように機能する」という比喩が示される | タイプライターエクスキューズの原型が、当局の言葉として登場する |
| 1997年8月20日 | Part 11 施行 | この日より前から稼働していたシステムが、後に「レガシーシステム」として区別されることになる |
| 1997年8月以降 | 解釈と実装をめぐる議論が industry・コントラクター・当局のあいだで拡大。FDAはCPG 7153.17(Part 11 に関する執行方針)と、バリデーション/用語集/タイムスタンプ/電子記録の維持/電子記録の電子コピー、の5本のドラフトガイダンスを発出 | 解釈が広がり、対応コストが当初想定を超えて膨らむという懸念が業界から表明される。タイプライターエクスキューズが実務上の回避策として広まる |
| 2003年2月4日 | 68 FR 5645:ドラフトガイダンス「電子記録の電子コピー」の撤回を公示 | Part 11 の解釈の巻き戻しが始まる |
| 2003年2月25日 | 68 FR 8775:バリデーション/用語集/タイムスタンプ/電子記録の維持の各ドラフトとCPG 7153.17 の撤回を公示するとともに、「Scope and Application」ドラフトを公表 | FDAは「これらのドラフトとCPGを再発行する意図はない」と明記 |
| 2003年8月 | 「Part 11, Electronic Records; Electronic Signatures – Scope and Application」最終ガイダンス発出 | 狭義解釈(narrow interpretation)+一部要件の執行裁量。ただしPart 11 自体は存続 |
| 2005年4月1日 | 厚生労働省ER/ES指針(平成17年4月1日 薬食発第0401022号)が、同日以降に提出又は保管される資料に適用開始 | 日本でも電磁的記録の要件が示される。ただし後述のとおり要求の強さがPart 11 と異なる |
| 2018年3月 | 英国MHRA「‘GXP’ Data Integrity Guidance and Definitions」Revision 1 | ALCOA と「+」(Complete, Consistent, Enduring, Available)の関係を明文で整理。ハイブリッドシステムに固有の注意を記載 |
| 2018年12月 | FDA「Data Integrity and Compliance With Drug CGMP: Questions and Answers」最終版 | 2003年ガイダンスを「Part 11 の再検討が続くあいだのFDAの現在の考え方」として引き続き参照している |
| 2021年7月1日 | PIC/S PI 041-1(GMP/GDP環境におけるデータマネジメントとデータインテグリティの good practices)発効 | 第9.10章でハイブリッドシステムを正面から扱い、その使用は「推奨されない(discouraged)」と明記 |
| 2026年8月現在 | 2003年ガイダンスが予告したPart 11 改正のrulemakingは、いまだ行われていない | 1997年以降のPart 11 の改正は、§11.1 への適用除外項の追加と、§11.100(c)(1) の提出先に関する事務的変更(88 FR 13018、2023年3月2日)に限られる。§11.10・§11.50・§11.70・§11.200 などの実体規定は1997年のまま |
バリデーションという概念自体が1970年代の事件を通じて形づくられた経緯については、バリデーション概念の歴史的背景で扱っている。上の年表は、その延長線上にある「記録の媒体をめぐる二十数年」と読むことができる。
なぜこの運用が生まれたのか
要求事項の重さ
21 CFR Part 11 が1997年8月20日に施行された当初、その要求事項は非常に厳格であった。電子記録システムには、監査証跡、バリデーション、アクセス制御など、多岐にわたる要件が課せられた。
多くの企業にとって、これらの要件を満たすシステムを構築・維持することは、技術的にもコストの面でも大きな負担であった。そこで、一部の企業や業界関係者から「単純な文書作成にまでPart 11 を適用する必要があるのか」という疑問が生じた。タイプライターエクスキューズは、この負担を回避するための実務的な解釈として、業界内で広まっていった。
負担が膨らんだ理由――規則ではなく解釈が広がった
ここで注意すべきは、負担を膨らませたのは規則本文というより、その後に積み上がった解釈だったという点である。FDA自身が2003年ガイダンスの「背景」節で、次の3点の懸念が寄せられたと記している。
- 意図に反する制約Part 11 要求事項の一部の解釈が、規則発出時にFDAが述べた意図と矛盾する形で、電子技術の利用を不必要に制約している。
- 想定を超えるコスト規則の起草時には想定されていなかった程度にまで、遵守コストを著しく増大させている。
- 技術革新の抑制公衆衛生上の意義ある便益をもたらさないまま、技術革新と技術的進歩を妨げている。
そしてFDAは、これらの懸念が「特にバリデーション、監査証跡、記録の保持、記録のコピー、およびレガシーシステムの領域で提起された」と述べている。この5領域は、そのまま2003年に執行裁量の対象となった領域と一致する。
FDAは「暗黙に容認」していたのか
主語を正確にする
この点は、本稿でもっとも慎重に扱うべき箇所である。「Part 11 施行当初、FDAの解釈が不明確な期間があり、その沈黙が業界では暗黙の容認と受け取られた」という説明が広く流通している。しかし当局が「容認していた」と断定するには、当局自身の文書が要る。
実際に確認できることは、次のとおりである。
| よく言われること | 一次情報で確認できること |
|---|---|
| FDAは当初、見解を示していなかった | 誤り。1997年3月20日の官報コメント22への回答(62 FR 13437)で、付随的なコンピュータ利用は対象外である旨を明示している |
| FDAは沈黙により暗黙に容認していた | 断定できない。FDAが「タイプライターエクスキューズを容認する」と述べた文書は確認できない。確認できるのは、施行後に解釈をめぐる議論が続き、FDAが会議・CPG・複数のドラフトガイダンスで発信を続けていたという事実である(2003年ガイダンス「背景」節) |
| 査察で厳しく追及されることは少なかった | 当局の文書では確認できない。本稿では、この点を当局の方針としてではなく、業界でそう受け止められていたという理解として扱う |
業界で行われていた運用の形
この時期、多くの企業で次のような運用が行われていたとされる。以下は特定の企業の運用を指すものではなく、一般的な運用形態として整理したものである。
製造記録の作成
- 製造指図書をワープロソフトで作成し、印刷する
- 製造担当者が手書きで記入・署名する
- 原本は紙として保管する
試験記録の管理
- 表計算ソフトで分析データを入力する
- 結果を印刷して紙の記録簿に貼付する
- 担当者と承認者が手書き署名する
- 電子ファイルは定期的に削除する
これらの運用は、規制要件を満たしながらPart 11 の複雑な要件を回避する実務的な解決策として機能していた。表計算ソフトを業務記録に使う場合に何が問題になるかは、Excelを使用する場合の管理留意点で、§11.10 の各号ごとに整理している。
2003年のガイダンス――何を撤回し、何を維持したのか
2003年8月、FDAは「Part 11, Electronic Records; Electronic Signatures – Scope and Application」を発出した。全9ページのこの文書が、本稿の核である。
3つの柱
ガイダンスは、自らのアプローチが3つの要素から成ると明記している。
| 柱 | 内容 |
|---|---|
| ① 狭義解釈 | Part 11 は狭く解釈する。Part 11 の対象となる記録はより少ないことを明確化する |
| ② 一部要件の執行裁量 | 対象となる記録についても、バリデーション・監査証跡・記録の保持・記録のコピーの各要件、およびレガシーシステムに関するすべてのPart 11 要件について、執行裁量を行使する |
| ③ 述語規則は全面執行 | 述語規則(predicate rule)の要求事項は、記録および記録保持の要求を含め、すべて執行する |
最大の誤解ポイント――執行裁量は「遵守免除」ではない
- ガイダンスは “Note that part 11 remains in effect”(Part 11 は引き続き効力を有することに留意されたい)と明記している。規則は生きている。
- 執行裁量の対象は列挙された要件に限られる。ガイダンスは「本ガイダンスに記載されたFDAの執行裁量の行使は、特定のPart 11 要求事項に限定される」と明言している。
- 執行裁量の対象外として、FDAは次を名指しで挙げ、「引き続き遵守を期待し、執行を続ける」としている――システムアクセスの権限者への限定、操作システムチェック、権限チェック、機器チェック、開発・保守・使用に携わる者の教育訓練と経験、電子署名のもとでの行為に対する説明責任を定めた文書化された方針、システム文書の管理、オープンシステムの管理(§11.30)、電子署名に関する要求事項(§11.50、§11.70、§11.100、§11.200、§11.300)。
- そして、記録は述語規則に従って維持または提出されなければならず、述語規則の不遵守に対してFDAは規制上の措置を取り得る。
電子署名の要求事項が執行裁量の対象外である点は、実務上とりわけ重要である。§11.50 が求める3つの明示事項(署名者の印字された氏名/署名が行われた日時/署名の意味)については電子署名の3つの明示事項、§11.200(a)(3) が求める「2人以上の共同(collaboration)を要する」という設計思想についてはなぜ2人以上の共謀が必要とされたのかで詳述している。
「印刷して紙に頼る」運用はどう扱われたか
そして、本稿の主題に直接答える一節が、狭義解釈の説明の中にある。
――FDA「Part 11 – Scope and Application」III.B.1(2003年8月)/仮訳
すなわち、2003年のガイダンスはタイプライターエクスキューズを否定していない。むしろ、条件を明示したうえで公式に認めている。元記事を含め「FDAの見解変更により、その有効性は否定された」と説明されることがあるが、これは一次情報と整合しない。否定されたのは条件を満たさない主張のほうである。
決定的な限定――「業務実態」を見る
では、何が封じられたのか。ガイダンスは、Part 11 の対象となる記録を定義する節で、次のように述べる。
――FDA「Part 11 – Scope and Application」III.B.2(2003年8月)/仮訳
そのうえでFDAは、述語規則により保持が求められる記録ごとに、電子記録と紙記録のどちらに依拠して規制対象活動を行うのかを「あらかじめ」決定し、その決定をSOPや仕様書などに文書化することを推奨している。
タイプライターエクスキューズが成立する3条件
- ① 紙記録が、該当する述語規則のすべての要求事項を満たしていること。印刷しさえすればよいのではない。紙の側が単独で規制要件を充足していなければならない。
- ② 規制対象活動を、実際にその紙記録に依拠して行っていること。印刷はするが日常業務では画面上のデータを見ている、という運用は該当しない。
- ③ どちらに依拠するかを、あらかじめ決定し文書化していること。査察で問われてから「紙が原本です」と説明するのでは足りない。
「タイプライターとして使っている」という自称だけでは、Part 11 の適用を免れることはできない。判定するのは名目ではなく業務実態である。
なお、電子データを保存していれば直ちに電子記録として規制対象になる、というのも正確ではない。ガイダンスは「述語規則のもとで保持が求められていないが、それでも電子的形式で維持されている記録(およびそれに付随する署名)は、Part 11 記録ではない」と明記している。判断の起点はあくまで述語規則であり、ファイルの有無ではない。
「ハイブリッド」という言葉の出どころ
紙と電子が併存する状態を指す「ハイブリッド」という語も、この2003年ガイダンスに現れる。ただし本文ではなく、記録の保持を論じた節の一文とその脚注8である。
(脚注8)ハイブリッドの状況の例としては、紙記録(またはその他の非電子媒体)と電子記録の組合せ、紙記録と電子署名の組合せ、電子記録に対して行われた手書き署名などが挙げられる。
――FDA「Part 11 – Scope and Application」III.C.5 および脚注8(2003年8月)/仮訳
注意したいのは、FDAが用いているのが“hybrid situation”(ハイブリッドの状況)であって、「ハイブリッドシステム」という体系立てられた制度用語ではないという点である。また、この一文はハイブリッドを許容する文脈で書かれており、「ハイブリッドは規制対象である」と宣言したものではない。
ハイブリッドシステムそのものの定義・発生背景・問題点の総論は、ハイブリッドシステムとはにまとめてある。また「紙と電子のどちらが原本なのか」という正本性・証拠能力の問題は紙が正か電子が正か、「紙に出力した瞬間に何が失われるのか」はなぜプリントアウトは信頼できないのかで、それぞれ詳しく扱っている。本稿は歴史と経緯に紙幅を割いているため、定義と論点整理はそちらを参照されたい。
企業が迫られた3つの選択
2003年の整理により、多くの企業は運用の見直しを迫られた。
- 選択肢1:完全な紙ベース運用電子システムを使用せず、手書きまたはタイプライターで記録を作成する。現実的には非効率であり、ほとんどの企業は選択しなかった。
- 選択肢2:Part 11 準拠の電子システム構築電子記録システムを適切にバリデーションし、Part 11 の要件を満たす。多くの企業がこの方向に舵を切った。
- 選択肢3:適切なハイブリッド運用電子データを一時的な作業用としてのみ使用し、紙記録を正式な記録とする。ただし前掲の3条件を満たし、その判断を文書化しておく必要がある。
▲【動画】データインテグリティはなぜ重要か(株式会社イーコンプライアンス)
日本のER/ES指針はどう答えたか
2005年4月1日、薬食発第0401022号
日本では2005年(平成17年)4月1日付で、厚生労働省医薬食品局長通知「医薬品等の承認又は許可等に係る申請等における電磁的記録及び電子署名の利用について」(薬食発第0401022号)が発出された。いわゆるER/ES指針である。
この指針は、行政手続等における情報通信の技術の利用に関する法律(平成14年法律第151号)およびe-文書法(民間事業者等が行う書面の保存等における情報通信の技術の利用に関する法律、平成16年法律第149号)により電磁的記録による申請・保存が認められたことを受け、その信頼性を確保するための留意事項を定めたものである。適用は「原則として平成17年4月1日以降に提出又は保管される資料」とされた。
別紙の指針は、第3章で電磁的記録利用のための要件として3.1.1 真正性/3.1.2 見読性/3.1.3 保存性を掲げ、第4章で電子署名利用のための要件を定めている。保存性(3.1.3)の観点から電子記録の長期保存が実務上なぜ難しいのかは、電子記録の長期保存が困難な理由で扱っている。
日本版タイプライターエクスキューズへの回答
注目すべきは、通知本体の「適用範囲」に置かれたなお書きである。ここが、本稿の主題に対する日本の当局の回答にあたる。
――厚生労働省 平成17年4月1日 薬食発第0401022号「記」3 適用範囲
まさに「紙で作るが、その過程で電子を使う」という運用――タイプライターエクスキューズが想定する状況そのものを名指しし、そのうえで「可能な限り本指針に基づくことが望ましい」と述べている。FDAが「述語規則を満たし紙に依拠しているならPart 11 は発動しない」と適用の有無で線を引いたのに対し、厚生労働省は適用の有無を切らず、努力目標として指針への準拠を促したのである。
Part 11 とER/ES指針の異同
| 論点 | 21 CFR Part 11(米国) | ER/ES指針(日本) |
|---|---|---|
| 法的性格 | 連邦規則。違反は規制上の措置の対象 | 局長通知に添付された指針。行政指導の性格をもつ |
| 紙で作成する際に電子を使う場合 | 2003年ガイダンス:紙が述語規則を満たし、実際に紙に依拠しているなら Part 11 は発動しない。ただし業務実態を考慮する | 通知「記」3 なお書き:「可能な限り本指針に基づくことが望ましい」 |
| 監査証跡 | §11.10(e):“shall”。「安全で、コンピュータが生成し、タイムスタンプが付された監査証跡」を用い、電子記録を作成・変更・削除する操作者の入力と行為の日時を独立して記録すること。記録の変更は従前の記録情報を不明瞭にしてはならない | 別紙3.1.1(2) のなお書き:「監査証跡が自動的に記録され、記録された監査証跡は予め定められた手順で確認できることが望ましい」 |
| 変更前情報の保存 | §11.10(e):Record changes shall not obscure previously recorded information | 別紙3.1.1(2):「一旦保存された情報を変更する場合は、変更前の情報も保存されるとともに、変更者が明確に識別できること」(必要な要件として記載) |
| 電子署名の明示事項 | §11.50(a):署名者の印字された氏名/署名が行われた日時/署名の意味(レビュー、承認、責任、著作など) | 別紙4(3):署名者の氏名/署名が行われた日時/署名の意味(作成、確認、承認等)――ほぼ同一 |
| 署名と記録のリンク | §11.70:通常の方法では切り離し・コピー・移転ができないようリンクすること | 別紙4(4):「通常の方法では削除・コピー等ができないように、対応する各々の電磁的記録とリンクしていること」――ほぼ同一 |
| 適用開始 | 1997年8月20日 | 平成17年(2005年)4月1日以降に提出又は保管される資料 |
「望ましい」を「やらなくてよい」と読まないこと
- ER/ES指針が監査証跡について「望ましい」という表現を使っているのは事実である。しかし変更前情報の保存と変更者の識別は「必要な要件」として書かれている。監査証跡なしにこの要件をどう充足するのかは、結局のところ説明を求められる。
- また、この指針が対象とするのは申請等に係る資料と原資料である。GMP・GQP・GVP など他のGxPには、それぞれの省令に基づく記録要求が別途かかる。ER/ES指針が「望ましい」と述べていることは、他の法令上の義務を軽くしない。
- 査察の現場で監査証跡がどう見られているかはER/ES指針査察のいまを参照されたい。
現在の理解と実践
データインテグリティの重視――ただし出所を正確に
2010年代以降、規制当局はデータインテグリティ(データの完全性)をより重視するようになった。ここで、よく引かれるALCOA+について、出所を正確にしておきたい。
| 文書 | ALCOA の扱い |
|---|---|
| FDA「Data Integrity and Compliance With Drug CGMP: Q&A」 (2018年12月・最終版) |
「完全で、一貫性があり、正確なデータは、attributable, legible, contemporaneously recorded, original or a true copy, and accurate(ALCOA)であるべき」と記載。“ALCOA+” という語も、enduring という語も本文には現れない |
| MHRA「’GXP’ Data Integrity Guidance and Definitions」 Revision 1(2018年3月) |
3.10項で明示的に整理。「本ガイダンスは ‘ALCOA +’ ではなく ALCOA という頭字語を用いる」としたうえで、ALCOA が Attributable, Legible, Contemporaneous, Original, Accurate であり、「+」が Complete, Consistent, Enduring, Available を指すと定義。「どちらの頭字語を用いても期待に違いはない」とも述べている |
すなわち、「+」の4要素を明文で定義しているのはMHRAであり、FDAの当該ガイダンスではない。「FDAがALCOA+を強調した」という説明は、厳密には正確でない。データインテグリティを支える3つの要素の整理はデータインテグリティ保証の3要素、記録の意味を支えるメタデータの役割はメタデータとは何かで扱っている。
いずれにせよ、この文脈では、タイプライターエクスキューズのような回避的なアプローチはデータインテグリティの観点から問題視され得る。紙に印刷した時点で、電子側にあったメタデータと監査証跡は紙面に載らないからである。
監査証跡の必要性
現代の規制環境では、「誰が、いつ、何を、なぜ変更したか」という監査証跡が重視される。21 CFR §11.10(e) は、電子記録を作成・変更・削除する操作者の入力と行為の日時を独立して記録する、安全でコンピュータ生成のタイムスタンプ付き監査証跡を求めている。さらに同号は、記録の変更が従前の記録情報を不明瞭にしてはならないこと、そして監査証跡の文書は当該電子記録に求められる期間以上保持され、FDAのレビューとコピーに供されなければならないことまで規定している。
電子システムはこれを自動的に記録できるが、紙ベースではこれが困難である。したがって、単に規制要件を回避するために紙記録を選択することは、長期的には企業のリスクを高める可能性がある。
ハイブリッドは、今や「推奨されない」
2003年のFDAガイダンスがハイブリッドの共存を許容してから約18年後、PIC/SはPI 041-1(2021年7月1日発効)の第9.10章「ハイブリッドシステムの管理」で、次のように踏み込んだ。
――PIC/S PI 041-1「Good Practices for Data Management and Integrity in Regulated GMP/GDP Environments」9.10(2021年7月1日)/仮訳
PI 041-1 はさらに、手作業と自動化の境界(インタフェース)を管理する手順と記録を求め、とくに次の3つの局面を挙げている――手作業で生成したデータのコンピュータ化システムへの手入力、自動化システムが生成したデータの紙記録への(手作業を含む)転記、印刷されたデータのコンピュータ化システムへの自動検出・転記。そして「転記および処理の後も、元のデータは保持されるべきである」としている。
ここに、四半世紀の変化が凝縮されている。1997年に「タイプライターやペンのようなもの」として対象外に置かれた領域は、2003年に条件付きで公式化され、2021年には「特有の追加管理を要するため、そもそも避けるべきもの」と位置づけられた。規制が変わったというより、リスクの理解が深まったと言うべきである。
適切なシステム設計
現在では、タイプライターエクスキューズを追求するのではなく、適切に設計された電子記録システムを構築することが推奨されている。
- リスクベースアプローチ
すべてのシステムに同じレベルのPart 11 対応を求めるのではなく、患者の安全性や製品品質への影響度に応じて、適切なレベルの管理を適用する。この考え方はFDAの2003年ガイダンス自身が採っており、「正当化され文書化されたリスクアセスメントと、システムが製品品質・安全性および記録の完全性に及ぼし得る影響の判断に基づいてアプローチを組み立てること」を推奨している。同ガイダンスは「たとえば、SOPの作成にのみ用いられるワープロについては、バリデーションは重要でないだろう」という具体例まで挙げている。CSVからCSAへの流れについてはER/ES実践講座 続報を参照されたい。 - クラウドサービスの活用
Part 11 準拠のクラウドベースのシステムが普及しており、中小企業でも比較的容易に電子記録管理が可能になっている。ただし、ベンダーが「Part 11 対応」と称していることと、自社の運用がPart 11 を満たすことは別である。§11.10(i) が求める教育訓練、§11.10(j) が求める文書化された方針、そして述語規則上の記録要求は、いずれも利用者側の責任として残る。
「凍結すれば安全」ではない
- 旧システムをそのまま保存すれば査察に耐えられる、という発想(いわゆるタイムカプセルアプローチ)にも同じ誤解がある。2003年ガイダンスのレガシーシステムに関する執行裁量は、4条件すべてを満たす場合に限られる――①1997年8月20日の施行日より前に稼働していたこと、②施行日前に該当するすべての述語規則要求を満たしていたこと、③現在も該当するすべての述語規則要求を満たしていること、④意図する用途に適合していることの文書化された証拠と正当化(該当する場合は許容し得る水準の記録のセキュリティと完全性を有することを含む)があること。
- しかも、1997年8月20日以降にシステムが変更され、その変更により述語規則要求を満たさなくなる場合には、Part 11 の管理を適用すべきものとされている。
- 詳しくはタイムカプセルアプローチとはを参照されたい。
教訓と今後の展望
- 規制の本質を理解するタイプライターエクスキューズの歴史から学ぶべきは、規制の文字面だけでなく、その本質的な目的を理解することの重要性である。Part 11 の目的は、電子記録の信頼性を確保し、データの改ざんを防ぐことにある。この目的を達成する方法として、適切な電子システムを構築することが、長期的には最も効率的で確実な選択である。そして本稿で見たとおり、「文字面」を精読することにも意味がある。FDAは1997年の時点で境界線を書いていたし、2003年には成立条件を3つ明示していた。読まずに通称だけを借りたことが、この語に「エクスキューズ」という名を与えたのである。
- テクノロジーの進化を味方につけるAIやクラウド技術の発展により、規制準拠はかつてほど困難ではなくなっている。規制を「回避すべき障害」ではなく、「品質を高める機会」として捉えることで、より強固なシステムを構築できる。クラウドベースのシステムは、監査証跡や電子署名の機能を標準で提供していることが多い。ただし、AIによる異常検知などの新しい手段を導入する場合、それ自体がバリデーションと管理の対象になるという点は押さえておく必要がある。技術は要求を消すのではなく、要求の置き場所を移すだけである。
- 透明性と説明責任タイプライターエクスキューズのような「グレーゾーン」を利用するアプローチは、規制当局との信頼関係を損なう可能性がある。むしろ、自社のシステムと運用について透明性を保ち、規制当局と建設的な対話を行うことが、長期的な成功につながる。2003年ガイダンスが「あらかじめ決定し、文書化せよ」と繰り返し推奨しているのは、まさにこの透明性の要求である。査察時に自信を持って説明できるシステムを構築することが重要である。
まとめ――5つのポイント
- 「タイプライターエクスキューズ」は当局の用語ではないPart 11 の官報全文(62 FR 13430–13466)と2003年ガイダンス全文を検索した結果、
typewriterの出現は官報に1件、ガイダンスに0件。しかもその1件は「manual typewriters or pens」というFDA自身の比喩であり、「typewriter excuse」という語ではない。業界の通称である。 - この考え方はFDAが1997年に示したものである62 FR 13437 のコメント22への回答で、FDAは「紙記録の作成に単に付随的であるにすぎないコンピュータシステム」への不適用を明言していた。「当初は不明確で、暗黙に容認されていた」という理解は、一次情報と整合しない。
- 2003年ガイダンスは否定ではなく条件の明示である否定されたのは、①紙が述語規則を満たし、②実際に紙に依拠し、③その判断をあらかじめ文書化する、という3条件を欠いたまま比喩だけを借りる運用である。FDAは「業務実態を考慮に入れることがある」と明記した。
- 執行裁量は遵守免除ではないガイダンスは「Part 11 は引き続き効力を有する」と明記し、執行裁量の対象をバリデーション・監査証跡・記録の保持・記録のコピーとレガシーシステムに限定した。電子署名関係(§11.50・§11.70・§11.100・§11.200・§11.300)は対象外であり、述語規則は全面的に執行される。
- 日本は「望ましい」で答えたER/ES指針(平成17年4月1日 薬食発第0401022号)は、紙媒体で作成する際に電磁的記録・電子署名を利用する場合について「可能な限り本指針に基づくことが望ましい」とし、監査証跡についても「望ましい」と述べる。§11.10(e) の “shall” との差はここにある。ただし変更前情報の保存と変更者の識別は「必要な要件」であり、実質的な説明責任は残る。
参考・出典(一次情報源)
- FDA / Federal Register「Electronic Records; Electronic Signatures」最終規則、62 FR 13430–13466(1997年3月20日公示、1997年8月20日施行)。本稿で引用した「manual typewriters or pens」の一節はコメント22への回答、62 FR 13437。govinfo によるPDF原本
- FDA / Federal Register「Electronic Signatures; Electronic Records; Proposed Rule」59 FR 45160(1994年8月31日)
- FDA「Guidance for Industry: Part 11, Electronic Records; Electronic Signatures – Scope and Application」(2003年8月)/PDF全文
- FDA / Federal Register「Withdrawal of Draft Guidance for Industry on Electronic Records; Electronic Signatures, Electronic Copies of Electronic Records」68 FR 5645(2003年2月4日)
- FDA / Federal Register「Draft Guidance for Industry on “Part 11, Electronic Records, Electronic Signatures–Scope and Application”; Withdrawal of Draft Guidances and a Compliance Policy Guide」68 FR 8775(2003年2月25日)
- eCFR「21 CFR Part 11 – Electronic Records; Electronic Signatures」(§11.1、§11.2、§11.10(e)、§11.50、§11.70、§11.100、§11.200、§11.300 を参照)
- FDA「Data Integrity and Compliance With Drug CGMP: Questions and Answers」(2018年12月・最終版)
- 厚生労働省「医薬品等の承認又は許可等に係る申請等における電磁的記録及び電子署名の利用について」平成17年4月1日 薬食発第0401022号(ER/ES指針)
- PMDA「各種関連通知(承認申請)」
- PIC/S「PI 041-1 Good Practices for Data Management and Integrity in Regulated GMP/GDP Environments」(2021年7月1日発効。第9.10章「Management of Hybrid Systems」)
- MHRA「‘GXP’ Data Integrity Guidance and Definitions」Revision 1(2018年3月。3.10項でALCOAと「+」を定義)