「苦情ゼロ」を掲げる会社は、必ず嘘をつく

「苦情ゼロ」を掲げる会社は、必ず嘘をつく

~達成不能な目標が、組織のモラルハザードを呼び込む~
「今年は顧客苦情ゼロを目指す」――意気込みとしては立派だが、実務的には致命的な誤りである。苦情ゼロは原理的に達成できないうえ、掲げた瞬間に「苦情を減らす」ではなく「苦情を数えない」インセンティブが生まれるからだ。本稿では、ISO 13485 5.4.1(品質目標)8.2.2(苦情処理)、そしてQMS省令第13条・第55条の2に立ち返り、なぜ「苦情ゼロ」が危険信号なのかを整理する。

「苦情ゼロ」という宣言の何が問題なのか

品質目標を立てる際、こう宣言する経営者がたまにいる。「今年は顧客苦情ゼロを目指す」。意気込みとしては立派だが、実務的には致命的な誤りである。なぜなら、苦情ゼロは原理的に達成できないからだ。

医療機器は、想定した使用環境の外側でも使われる。ユーザーの習熟度は一定ではない。経年劣化もある。使用者の期待と製品仕様のあいだには、必ず差が生じる。この差がゼロになる状態は、市場に製品が存在しないときだけである。

品質目標に対する規格・法令の要求

ISO 13485:2016 の 5.4.1 は品質目標について、測定可能(measurable)であり、品質方針と整合していなければならないと要求する。日本のQMS省令では第13条(品質目標)が対応し、「その達成状況を評価しうるものであること」および「品質方針との整合性がとれたものであること」を求めている。

測定可能・評価可能とはすなわち定量的、数値で測れるという意味である。

論点 ISO 13485:2016 QMS省令 「苦情ゼロ」はどうか
品質方針 5.3 第12条 整合はしうる(方針が精神論なら整合してしまう)
品質目標 5.4.1 第13条 測定は可能。だが毎年「未達成」が確定している
QMSの計画 5.4.2 第14条 達成手段を計画できない(打つ手が定義できない)
管理監督者照査 5.6.2 第19条 照査の入力情報が「未達」の繰り返しになる
改善 8.5.1 第62条 継続的改善の階段が設計できない
補足:ISO 13485:2016 の 5.4.1 も QMS省令第13条も、品質目標が「達成可能であること」を明文で要求してはいない。明文の要求は「測定可能/評価しうる」ことと「品質方針との整合」である。しかし、目標を設定する目的が改善のマネジメントである以上、達成可能性は暗黙の前提と考えるのが実務的である。達成不能な目標は、次項に述べるとおり計画そのものを破綻させる。

達成不能な目標が、組織を蝕む過程

達成不能な目標を掲げ、毎年「未達成」と総括し続ければ、組織にモラルハザードが起きる。

最初の数年は「やれるだけやろう」という熱意があるかもしれない。だが二年、三年と未達成が続くと、人は学習する。「どうせ達成できない」「どうせ毎年同じ報告を書くだけ」――こうして品質目標は形骸化する。

経過 現場の受け止め方 組織に起きること
1年目 「高い目標だが、やれるだけやろう」 改善活動が活発化する。ここまでは健全
2年目 「頑張ったのに、また未達か」 達成感が得られず、改善提案の数が減り始める
3年目 「どうせ達成できない目標だ」 品質目標が儀式化。報告書のコピー&ペーストが始まる
4年目以降 「未達と書くと詰められる」 数字を小さく見せる操作が始まる。ここで質的に変わる

形骸化したものに従業員は熱意を傾けない。やがて報告自体が怪しくなる。

「ゼロ」を掲げた組織で起きる3つの操作

  • 件数の圧縮――複数の申立てを1件にまとめる、同一顧客からの再申立てを計上しない。
  • 定義の狭窄――「これは苦情ではなく問い合わせ」「これは要望であって苦情ではない」という言い換え。
  • 現場での揉み消し――営業やサービス担当が、上に上げずにその場で処理して終わらせる。

「ゼロ」を掲げた瞬間に、組織はこれらの温床になる。品質目標と経営目標を混同すると、この傾向はさらに強まる。売上目標と同じ調子で「ゼロ」と宣言してしまうからである。

正しい目標設計――届く高さの階段を毎年積み上げる

正しい目標設計はこうだ。今年の実績が苦情率3.0%なら、来年は2.5%、再来年は2.0%、その次は1.5%――しんどいけれど、ちょっと頑張れば手が届く水準を毎年積み上げていく。

これが継続的改善であり、PDCAそのものである。達成すれば組織は次のしんどさに向かう自信を蓄え、未達でも改善の方向性は示せる。

  1. Plan(計画)前年実績を基準に、達成可能な幅で次年度目標を置く。同時に、その差分を埋める具体的な改善テーマを紐づける。目標だけを置いて手段を置かないのは計画ではない。
  2. Do(実施)改善テーマを担当・期限つきで実行する。苦情の受付から分類、是正処置への引き渡しまでの経路を、実際に動かして確かめる。
  3. Check(評価)管理監督者照査(マネジメントレビュー)で達成状況を評価する。ここで母集団が正しいか――苦情の計上漏れがないか――を必ず確認する。
  4. Act(処置)達成できたなら次の段を設定し、未達なら原因を仕組みの側に求めて是正処置につなげる。担当者の努力不足で締めない。

前提は、データの正直な計上である

データの正直な計上が前提となる。苦情の定義は、ISO 13485 8.2.2(苦情処理)およびQMS省令第55条の2(苦情処理)に基づく手順書で明文化する。

ここで重要なのは、規格が定める「苦情」の定義がきわめて広いという点である。

苦情(complaint)とは、組織の管理下を離れた医療機器の同一性、品質、耐久性、信頼性、ユーザビリティ、安全性または性能に関する欠陥、あるいはそのような医療機器の性能に影響を及ぼすサービスに関する欠陥を申し立てる、書面、電子的または口頭による伝達をいう。
――ISO 13485:2016 3.4(用語及び定義)/趣旨訳

つまりユーザビリティに関する申し立ても、規格上の定義に明記された苦情である。「使い勝手が悪い」も医療機器では事故に直結し得るため、苦情として扱う必要がある。口頭の申立てが含まれる点、サービスに関する申立てが含まれる点も見落とされやすい。

サービスマンが定期保守で気づいた異常も、顧客がまだ気づいていなくても、苦情処理およびその後の分析のインプットとなる。範囲を広めに、目標は現実的に――これが原則である。

苦情がゼロであること自体が、危険信号になり得る

ここから、本稿の核心が導かれる。苦情件数がゼロであるという事実は、品質が完璧であることの証明ではない。むしろ、次のいずれかを示している可能性のほうが高い。

「苦情ゼロ」が示しうること 確認すべきポイント
苦情の定義が狭すぎる 手順書の定義がISO 13485 3.4/8.2.2の範囲を満たしているか。ユーザビリティ・口頭・サービスに関する申立てを含めているか
収集経路が機能していない 営業・サービス・カスタマーサポート・代理店からの情報が、実際に苦情処理の窓口へ到達しているか。到達件数の記録があるか
現場で握り潰されている 報告した人が不利益に扱われる文化になっていないか。報告から起票までのリードタイムはどうか
目標がゼロだから計上できない 品質目標の設計そのものが、正直な計上を妨げていないか
そもそも市場に出ていない 出荷実績と対比しているか。分母を明示しているか

監査人・査察官の立場からすれば、「苦情ゼロ」は誇るべき実績ではなく追加確認を要する所見である。内部監査の目的に照らしても、ゼロという数字こそ最初に疑うべき対象になる。

FDA査察でも、苦情ファイルは重点確認項目である

2026年2月2日、FDAは医療機器製造業者の査察において従来のQSIT(Quality System Inspection Technique)の使用を終了し、コンプライアンスプログラム CP 7382.850(Inspection of Medical Device Manufacturers)に記載された査察プロセスの運用を開始した。同日をもって、旧CP 7382.845 および CP 7383.001 は使用されなくなっている。

CP 7382.850 では、QMSが複数の「QMS Area」に分けられ、各エリアが「element」と、そこに紐づく規制要求事項で構成される。苦情処理は、ISO 13485 の箇条8に対応する「測定、分析及び改善(Measurement, Analysis and Improvement)」のエリアに位置づけられる。さらに 21 CFR Part 803(MDR)は「Other Applicable FDA Requirements(OAFR)」として査察対象に含まれる。詳しくはCP 7382.850とQSIT・QMSRの関係を参照されたい。

加えて、QMSR(21 CFR Part 820)は §820.35(a)(Records of complaints)で、ISO 13485 8.2.2 に上乗せする形で苦情記録の具体的要件を課している。

製造業者は、機器・表示・包装がその仕様を満たさなかった可能性のある苦情について、照査、評価および調査の記録を維持しなければならない。類似の苦情について既に調査が行われている場合には再度の調査は不要であるが、その場合は調査を行わない正当性を文書化した記録を維持しなければならない。
Part 803に基づきFDAに報告しなければならない苦情、製造業者が調査すべきと判断した苦情、およびそれらの要求とは関係なく調査した苦情については、機器の名称、苦情を受領した日付、UDIその他の機器識別、申立人の氏名・住所・電話番号、苦情の性質および詳細、実施した修正または是正処置、申立人への回答を記録しなければならない。
――21 CFR 820.35(a)(QMSR)/趣旨訳

「苦情ゼロ」を掲げた組織が査察でまず問われるのは、この記録の不在である。ゼロであることを裏づける記録は存在しない。存在するのは、収集経路が機能していたことを示す記録の有無だけである。

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経営者が品質目標を承認する前に、自問すべきこと

経営者が品質目標を承認する際、自問してほしい。「この目標は、ちょっと頑張れば達成できる水準か。達成不能な精神論を掲げていないか」と。

掲げた瞬間にモラルハザードを呼び込むのか、それとも組織を一段引き上げる踏み台になるのか――この見極めが品質方針との整合の本質である。

承認前チェックリスト

  • 目標は前年実績を基準に置いているか。実績を把握しないまま数字だけ決めていないか。
  • 分母(出荷台数・稼働台数など)を明示しているか。率で語れる形になっているか。
  • 目標値の差分を埋める改善テーマ・担当・期限が紐づいているか。
  • 苦情の定義が、ユーザビリティ・口頭申立て・サービス起因の申立てを含んでいるか。
  • 「件数が減った」ときに、本当に減ったのか計上されなくなったのかを見分ける指標を持っているか。

まとめ――3つのポイント

  1. 「苦情ゼロ」は原理的に達成できない目標であるISO 13485 5.4.1/QMS省令第13条が求めるのは測定可能・評価可能な目標である。達成不能な目標は計画も改善も設計できず、数年で形骸化する。
  2. ゼロを掲げると「減らす」でなく「数えない」動機が生まれる件数の圧縮、定義の狭窄、現場での揉み消し。データの正直な計上が崩れた時点で、QMSは事実を映さなくなる。
  3. 苦情ゼロは誇る実績ではなく、追加確認を要する所見であるISO 13485 3.4の苦情の定義はユーザビリティや口頭申立てまで含む広いものであり、QMSR §820.35(a)は苦情の照査・評価・調査の記録を求める。ゼロを裏づける記録は存在しない。

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