
ベテランほど間違える-なぜ熟練が落とし穴になるか
ヒューマンエラーは新人の専売特許ではない。むしろ現場で深刻な問題を引き起こすのは、経験豊富なベテランの操作ミスであることが少なくない。しかもベテランの誤りは発見が遅れる。理由は明快である――ベテランは手順書を読まないからだ。本稿では、熟達がなぜ落とし穴に転じるのかを人間工学の知見で整理し、ISO 14971:2019のリスクコントロールの優先順位に照らして、「教育・注意喚起」が最も弱い管理策であることを確認する。
なぜベテランほど間違えるのか
手順書から目を離した瞬間に、作業は勘に依存する
理由は明快である。ベテランは手順書を読まないからだ。長年やっている、感覚で分かる、目を瞑ってもできる――そう自負した瞬間から、SOPは眼前を通り過ぎていく。手順書から目を離した作業は、必ず勘と経験に依存し、勘と経験は必ずどこかで外れる。
初心者は逆に、毎回手順書を律儀に開いて確認する。だから間違いが少ない。仮に間違えても、手順書と照合すればすぐに発見できる。ベテランの間違いは手順書を経由していないから、第三者がチェックに入っても照合の基準がなく、発見が極めて困難になる。
ベテランの誤りが厄介な理由
- 照合基準がない。手順書を経由していない作業は、何と突き合わせて検証すればよいかが分からない。
- 指摘しにくい。組織内の序列が、若手からの疑義提示を抑制する。
- 再現しない。本人も「なぜそうしたか」を説明できないことがあるため、根本原因分析が難航する。
- 波及する。ベテランの逸脱した手順が、周囲に「これが正しいやり方」として伝播する。
熟達は「自動化」を生み、自動化はスリップを生む
ではなぜ、熟達するほど手順書から離れるのか。ここには人間の行動特性が関係している。
人間の行動は、習熟度と状況の新規性によって、おおむね次の三つの水準に分けて説明されることが多い。安全学・人間工学の分野で広く参照されてきたスキルベース/ルールベース/知識ベース(SRK)の行動分類である。
| 行動水準 | 特徴 | 典型的な担い手 | 起きやすい失敗 | 失敗の性質 |
|---|---|---|---|---|
| スキルベース (skill-based) |
習熟により意識的な注意をほとんど使わず、身体化された動作として遂行する。速いが、意図の確認が抜ける。 | ベテラン | スリップ(slip)/ラプス(lapse)――やろうとしたことは正しいのに、動作を取り違える・手順を飛ばす・失念する。 | 意図は正しいが実行が誤る |
| ルールベース (rule-based) |
「この状況ならこの手順」という既知の規則を当てはめて遂行する。手順書に沿った作業はここに当たる。 | 中堅・訓練を受けた作業者 | ミステイク(mistake)――状況の読み違えにより、誤った規則を適用する。 | 実行は正確だが意図が誤る |
| 知識ベース (knowledge-based) |
前例のない状況で、原理に立ち返って考えながら遂行する。遅く、負荷が高い。 | 新人/未知の事象に直面した全員 | ミステイク(mistake)――知識不足・推論の誤りによる判断の誤り。 | 実行は正確だが意図が誤る |
重要なのは、ベテランの誤りはスキルベースのスリップとして現れやすいという点である。「知らなかった」から間違えるのではない。「知りすぎていて、確認しなかった」から間違えるのだ。だから教育を追加しても効かない。知識は十分にあるのだから。
▲【動画】【ワンポイント】第160回「ヒューマンエラー」で終わらせない製造――製造販売業者が担うCAPA監督の実際(株式会社イーコンプライアンス)
記憶に基づいて作業してはいけない、記録に基づかなければならない
規制要件等が文書化を要求する根本理由はここにある。
――本稿の主張
トレーサビリティを確保し、誰がやっても同じ結果を出すには、文書という共通言語が要る。ISO 13485:2016が文書管理(4.2.4)を要求し、厚生労働省所管のQMS省令・GMP省令が手順書の作成と遵守を求めているのは、いずれも同じ理由による。データインテグリティの観点からも、PIC/S「PI 041-1 Good Practices for Data Management and Integrity in Regulated GMP/GDP Environments」(2021年7月1日発効)は、記録が同時性をもって作成されること(Contemporaneous)を重視している。作業後に思い出して書く記録は、記憶に依存している点でベテランの逸脱と同じ構造を抱えている。
飛行機のパイロットを例に考えれば分かりやすい
世界中のどんな熟練パイロットも、離陸前のチェックリストを必ず読み上げる。何万時間飛んでいる機長でも、マニュアルを飛ばすことは絶対に許されない。
なぜか。一度の飛び抜かしが乗客の命を奪うからである。
医薬品・医療機器の現場も、本質的にはこれと同じ重さを持つ。なお、AIを業務に用いる場面でも同じ構図が生じる。この点は「AIは副操縦士、あなたは機長」で詳述している。
ISO 14971 が教えること――「教育・注意喚起」は最も弱い管理策である
ここで規格の力を借りたい。医療機器のリスクマネジメント規格であるISO 14971:2019(Medical devices — Application of risk management to medical devices)は、リスクコントロールの選択肢を、次の優先順位で検討することを求めている。
| 優先順位 | リスクコントロールの選択肢 | 製造現場への読み替え | 有効性 |
|---|---|---|---|
| ① | 設計による本質的安全(inherently safe design and manufacture)――リスクを設計そのもので除去または低減する | 間違った部材が物理的に装着できない治具にする。誤った順序では次工程に進めないシステムにする。ポカヨケ。 | 最も高い |
| ② | 保護手段(protective measures)――機器自体または製造工程における防護 | インターロック、警報、バーコード照合、二重確認、自動計算による転記排除。 | 中 |
| ③ | 安全に関する情報(information for safety)――残留リスクの情報提供、必要に応じた使用者への訓練 | 手順書への注意書き、教育訓練、朝礼での注意喚起、ポスター掲示。 | 最も低い |
ここに、本稿の核心がある。「教育を徹底する」「注意喚起する」は、規格が明示的に最下位に置いた管理策なのである。それは効かないという意味ではなく、①と②を尽くしたうえで、なお残る残留リスクに対して用いるものという位置づけである。
ベテランの逸脱に対して「再教育を実施した」と是正処置を締めくくることが、いかに弱い対応であるかが分かるだろう。当社では以前から「CAPAの根本原因を教育不足にしてはならない」と申し上げてきたが、その論拠は精神論ではなく、リスクマネジメント規格の優先順位そのものにある。
「再教育」で締めくくる前に問うべきこと
- その作業は、手順を飛ばせない設計にできないか(①本質的安全)。
- 飛ばしたときに、気付ける仕掛けを入れられないか(②保護手段)。
- そもそも当該手順書は、現場の実態と一致しているか。守れない手順書を守らせる教育は無意味である。
- 教育を選ぶなら、なぜ①と②が採れなかったのかを記録に残しているか。
ではマネジメント側に何ができるか
- ベテランほど手順書遵守の模範を示すよう求める背中を見せる立場の人間が手順書を飛ばす姿を見せれば、組織全体が同じ振る舞いに収束する。逆に、最も経験のある者が最も忠実にチェックリストを読み上げる組織は、それだけで規律が保たれる。
- 力量評価項目に「手順書遵守」を入れる経験年数だけで力量を判定しないこと。ISO 13485:2016の6.2(人的資源)は、製品品質に影響する業務を行う要員に必要な力量を明確にし、教育訓練その他の処置の有効性を評価することを求めている。「受講した」ではなく「できるようになった」を見る。力量の構成要素については「力量の4要素」を、教育と訓練の違いについては「教育と訓練は違う」を参照されたい。
- 手順書自体を不断に改訂し、現場の実態と乖離しないよう保つ乖離した手順書は誰も守らない。守れない手順書を放置したまま遵守を求めることは、逸脱を制度的に生産する行為に等しい。改訂のトリガー(工程変更・設備更新・逸脱発生・監査指摘)をあらかじめ定めておく。
- 「教育」以外の是正処置を先に検討するISO 14971の優先順位に従い、設計・仕組みで防げないかを先に問う。教育を選ぶ場合は、その理由を記録に残す。
- リスクの評価を過大にも過小にもしないすべての作業に二重確認を課せば、現場は疲弊し、かえって形骸化する。どこに資源を集中すべきかの判断については「リスクの過大評価は患者を害する」も参考にされたい。
「自分は読まなくても分かる」――その瞬間が黄信号である
「自分は読まなくても分かる」と発言したベテランがいたなら、その瞬間が黄信号である。長年の経験は組織の財産だが、手順書から離れた経験は組織のリスクに転じる。
熟達を否定する必要はない。熟達した者にこそ、手順書という共通言語に立ち戻ってもらう。それが、経験を個人の属人的な勘から、組織の再現可能な資産へと変える唯一の道である。
まとめ――3つのポイント
- ベテランの誤りは発見が難しい手順書を経由しない作業には照合基準がない。初心者の誤りは手順書と突き合わせれば見つかるが、ベテランの誤りは第三者チェックでも見つからない。
- 熟達はスリップを生む知識不足ではなく、確認の省略が原因である。したがって「再教育」では効かない。設計と仕組みで防ぐことを先に考えるべきである。
- 教育・注意喚起は規格が最下位に置いた管理策であるISO 14971:2019は①設計による本質的安全、②保護手段、③安全に関する情報という優先順位を示す。CAPAの根本原因を安易に「教育不足」としないこと。
参考・出典(一次情報源)
- ISO「ISO 14971:2019 Medical devices — Application of risk management to medical devices」
- ISO「ISO/TR 24971:2020 Medical devices — Guidance on the application of ISO 14971」
- ISO「ISO 13485:2016 Medical devices — Quality management systems — Requirements for regulatory purposes」
- PIC/S「PI 041-1 Good Practices for Data Management and Integrity in Regulated GMP/GDP Environments」(2021年7月1日発効)
- eCFR「21 CFR Part 211 Subpart F – Production and Process Controls」
- eCFR「21 CFR Part 820 – Quality Management System Regulation」
- 厚生労働省「医薬品・医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する施策」
- PMDA「GMP/QMS/GCTP調査」