査察官は医療機器企業に勤めたことがない

査察官は医療機器企業に勤めたことがない

~監査・査察の力量とは、結局のところ「他社を知っている」こと~
PMDA や FDA の査察官は、医療機器企業や製薬企業に勤めた経験を持っていないことが多い、という指摘がある。にもかかわらず、彼らは現場に来訪して指摘を出し、行政上の措置を求める。なぜそれができるのか。本稿では、公的情報で確認できる範囲の事実を確かめたうえで、「経験差があるからこそ、企業側が説明責任を果たさなければならない」という実務的な帰結と、内部監査員の力量設計への示唆を整理する。

答えは一つしかない――多くの会社を知っているからである

監査・査察の力量の本質は、業界経験だけではない。比較対象の数である。

  • 他社が当然のようにやっていることを、ある会社がやっていない――それが査察官の目に「リスク」として映る。
  • 他社が気づいていることを、ある会社が気づいていない――それも「リスク」だ。

比較軸を持っているからこそ、現場初日でも指摘できる。外部コンサルタントが多くの会社の監査を引き受けて指摘を出せるのも、まったく同じ仕組みである。

力量の源泉 何を知っているか 強み 限界
業界経験(縦の深さ) 自社の製品・工程・慣行を深く知っている 細部の技術的妥当性を判断できる 自社の慣行が業界標準からずれていても気づけない
比較軸(横の広さ) 多数の企業の実務を横断的に知っている 「他社がやっていること/気づいていること」との差分をリスクとして検出できる 個別事情の技術的背景は企業側の説明を要する

査察官・監査員が拠って立つのは後者である。そして後者の限界を埋める役割は、企業側にしか果たせない。この点が本稿の結論につながる。

「自社で長年働いてきたから分かる」のではなく、「他社をたくさん見てきたから比較できる」――この構造が監査の根幹である。

公的情報で確認できること

ここで、感覚論に流れないよう、査察官・調査官の資格と訓練について公開情報で確認できる事実を押さえておきたい。

FDA調査官(Investigator)の採用要件

FDAで査察を担当するのは、Consumer Safety Officer(CSO)と呼ばれる職種であり、Investigator とも呼ばれる。FDAが公開している採用資料によれば、その採用要件は概ね次のとおりである。

項目 内容
学歴 品質保証または関連分野の学士・大学院レベルの学位。消費者関連法、生物科学、食品科学、化学、薬学、物理科学、食品工学、栄養学、医科学、工学、疫学、獣医科学、法務調査、法執行等の分野で、一定以上の単位を修得していること
業界での就業経験 採用要件として明示されていない
訓練 基本的な調査官認定(basic investigator certification)に加え、医療機器分野の認定(Medical Device Certification)を取得する
業務の中身 業務時間の大半を、査察・調査の実施と、施設査察報告書(EIR)等の作成に充てる
出張 勤務時間の最大50%程度の出張を伴う

すなわち、FDAの調査官は「規制対象業界での勤務経験」ではなく、科学的素養と、採用後の体系的な訓練・認定によって力量を担保する設計になっていると読める。そして、その力量を実地で支えているのが、多数の企業を継続的に査察することによって蓄積される比較軸である。

専門化された査察組織

FDAは2024年10月1日付の組織改編により、従来のORA(Office of Regulatory Affairs)をOII(Office of Inspections and Investigations)へ改称し、査察・調査・輸入監視に業務を集中させた。その下には Medical Products Inspectorate(MPI)が置かれ、さらに医療機器・放射線保健を担当するOMDRHI(Office of Medical Device and Radiological Health Inspectorate)が国内4地区および国際部門・マンモグラフィ部門の計6ディビジョンで医療機器の査察を担っている。

FDAはOII職員を「プログラムエリア」に割り当て、特定の分野に専門化させる運用をとっているとされる。つまり、個々の調査官は「医療機器企業の中の人」ではないが、「医療機器企業を数多く見る人」として専門化されているのである。

査察運用は文書で標準化されている

FDAのコンプライアンスプログラムは、FDAの調査官が査察を実施する際の指示書として位置付けられている。医療機器製造業者の査察については、コンプライアンスプログラム CP 7382.850「Inspection of Medical Device Manufacturers」が適用される。

FDAは2026年2月2日をもって従来のQSIT(Quality System Inspection Technique)の使用を終了し、更新されたCP 7382.850に記載された査察プロセスに移行した。同日以降、旧「Inspection of Medical Device Manufacturers(7382.845)」および「Medical Device PMA Preapproval and PMA Postmarket Inspections(7383.001)」は使用されない。CP 7382.850はQMSR(21 CFR Part 820)の要求に整合し、製品ライフサイクル全体(TPLC)にわたる評価を行う枠組みとなっている。詳細はFDA CP 7382.850とQSIT・QMSRで解説している。

ここが重要――「個人の勘」ではなく「組織の標準」で見に来る

  • 調査官が見る観点は、公開されたコンプライアンスプログラムによって標準化されている。すなわち何を見に来るかは事前に読める
  • したがって「あの調査官は厳しかった」という属人的な総括は、企業側の準備不足を覆い隠してしまう。特定の調査官個人の資質に原因を求める議論は、改善につながらない。
  • 比較軸(他社標準)と運用標準(コンプライアンスプログラム)の二つが、査察の指摘を支えている。

国内――PMDAのQMS適合性調査

国内では、PMDAのQMS適合性調査が、QMS省令に基づき、医療機器の製造管理・品質管理の体制が適切に構築され、実際に機能しているかを確認する。調査は実地調査と書面調査によって行われる。

調査員の力量についても標準化が進んでいる。厚生労働科学研究(QMS分野)の枠組みの下で、登録認証機関の調査員とPMDAの担当者が意見交換を行い、ISO/IEC 17021-1に対応するQMS調査員の力量基準が整理されている。すなわち、調査員の力量は「業界年次」ではなく、マネジメントシステム認証の国際規格に沿った要件として定義されつつあるということである。

注意:本稿で述べた「査察官に業界経験がない」という点は、あくまで公開されている採用要件に業界経験が明示されていないという事実に基づく一般論であり、個々の調査官の経歴を断定するものではない。実際には、業界経験を有する調査官も存在し得る。重要なのは個人の経歴の詮索ではなく、力量がどのような仕組みで担保されているかを理解することである。

経験差があるからこそ、企業側が説明責任を果たさなければならない

ここから導かれる実務的な帰結は、査察官への不満ではない。むしろ逆である。

調査官は、自社の製品・工程の固有事情を最初から知っているわけではない。一方で、他社の標準は知っている。この非対称性がある以上、「なぜ自社ではこの方法が妥当なのか」を説明する責任は、企業側にある。説明できなければ、比較軸に照らして「他社と違う=リスク」と判断されるのは当然である。

  1. 選択の理由を文書に残す他社と異なる方法を採るのであれば、その妥当性の根拠(リスクマネジメントの結果、バリデーションデータ、規制要求との対応関係)を手順書・記録の中に明示しておく。「昔からこうしている」は説明ではない。
  2. 前提知識のない相手に説明できる資料を用意する自社の工程を初めて見る人が理解できる粒度で、プロセスフロー、用語定義、判定基準を整理する。社内でしか通じない略語は説明を妨げる。
  3. 公開文書に沿って自己点検するCP 7382.850やQMS省令の条文構成に沿って、自社の記録が「その順序で」提示できるかを事前に確認する。何を見に来るかが公開されている以上、準備しないことに合理性はない。
  4. 根拠データまで遡れるようにしておく要約資料だけでは原データのレビューにならない。数値の背後にある記録とメタデータに遡れる状態を保つ(メタデータとは何かデータ分析と称して、グラフを持ってくる人へを参照)。

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内部監査員に求められる力量の、冷徹な定義

自社しか知らない人には、内部監査はできない

ここから帰結するのは、内部監査員に求められる力量の冷徹な定義だ。前職の経験、供給者監査の経験、他社見学、業界団体での情報交換、業界誌・規制動向のキャッチアップ――比較軸を作る活動を業務時間として確保しなければ、監査員は育たない。

規格・省令はどう書いているか

ISO 13485:2016 の 8.2.4(内部監査)は、監査員の選定および監査の実施において客観性および公平性を確保することを求め、監査員は自らの業務を監査してはならないと定めている。日本のQMS省令第56条(内部監査)も、次のように規定している。

製造販売業者等は、品質管理監督システムが次に掲げる要件に適合しているかどうかを明確にするため、あらかじめ定めた間隔で内部監査を実施しなければならない。

一 実施要領、法令の規定等及び当該品質管理監督システムに係る要求事項に適合していること。
二 効果的に実施され、かつ、維持されていること。

――QMS省令 第56条(内部監査)第1項

用語の確認:ここで規格が用いているのは「独立性」という語そのものではなく、「客観性・公平性」と「自らの業務を監査しない」という要求である。組織図上の独立性は、この要求を満たすための一手段にすぎない。独立性は形式で確保できるが、客観性は知的な比較能力に支えられる。比較対象を持たない監査員に客観性は宿らない。

監査員の力量については、ISO 19011(マネジメントシステム監査のための指針)が国際的な指針を与えている。同規格は2026年5月に第4版(ISO 19011:2026)が発行され、2018年版(第3版)を置き換えた。監査の原則、監査プログラムの管理、監査の実施に加えて、監査に関与する要員の力量の評価に関する指針を含み、個人の力量だけでなく監査チームとしての力量を重視している点が特徴である。第4版では、ISO/IEC TS 17012 の内容を取り込む形で、リモート監査手法および仮想サイトに関する指針が拡充された。

内部監査そのものの目的については、内部監査の目的で詳しく述べている。

組織として打てる手は明快である

  1. 育成計画に「外部経験」を組み込む供給者監査、相互監査、業界セミナーでの他社情報交換のいずれかを、内部監査員の年間プログラムに正式に据える。
  2. 他社・他業界経験者を登用する転職経験者・他業界経験者を積極的に内部監査チームに加える。比較軸は、人を通じて組織に入ってくる。
  3. 規制動向のウォッチを業務時間として認めるFDA・PMDA・PIC/S等の公開文書を継続的に読む時間を、内部監査員の業務として明示的に確保する。「業務外の自己研鑽」に依存している限り、力量はばらつく。
  4. チームとしての力量を設計するISO 19011 が示すとおり、力量は個人単位ではなくチーム単位で評価してよい。技術に強い監査員と、規制に強い監査員を組み合わせる設計が現実的である。

まとめ――3つのポイント

  1. 問われているのは業界年次ではなく、比較軸の数であるFDA調査官の採用要件に業界での就業経験は明示されておらず、力量は学術的素養、採用後の認定・訓練、そして多数の企業を見ることで得られる比較軸によって担保されている。PMDAでもISO/IEC 17021-1に対応した調査員の力量基準の整備が進んでいる。
  2. 経験差があるからこそ、企業側に説明責任がある調査官は自社の固有事情を知らないが、他社の標準は知っている。「なぜ自社ではこの方法が妥当なのか」を根拠とともに説明できなければ、比較軸に照らしてリスクと判断される。査察の観点はCP 7382.850として公開されており、準備は可能である。
  3. 組織が比較軸を提供できるかが、内部監査の力量設計の本丸である「内部監査員に医療機器業界の経験がないと務まらない」という前提を逆さにしてみてほしい。査察官は業界での就業経験がなくとも務まっている。組織として比較軸をどれだけ提供できるか――ここに投資すべきである。

なお、内部監査の力量は、経営者が品質に対して負う責任と切り離せない。「経営方針」と「品質方針」が乖離した会社の末路、およびトップダウンの品質マネジメントもあわせてお読みいただきたい。

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