「Quality Culture」を読み違えていないか

~「品質のための文化」ではなく「品質という文化」~

Quality Culture——この言葉を「品質管理のための文化」と読んでいないだろうか。もしそうなら、出発点でつまずいている。

まず一つ、よくある誤解を解いておきたい。Quality Culture は和製英語ではない。

FDA 自身が、CDER の Quality Management Maturity(QMM)プログラムの目標として「強い quality culture を醸成する」ことを明確に掲げている。

“culture of quality” という言い回しも同じ意味で並行して使われており、どちらも英語圏で通用する正規の表現である。語順が間違っているわけではない。

むしろ注目すべきは、英語の文法構造そのものだ。

“quality culture” という複合語において、中心となる名詞——主役——は culture であり、quality はそれを修飾する語にすぎない。

“safety culture”、”corporate culture” とまったく同じ構造である。

つまり英語の語順は、すでにこう語っている。

文化が実体であり、品質はその文化の性質を表す形容にすぎない、と。

“culture of quality” と of を補えば、その関係はいっそう明示的になる。

文化が先で、品質はその文化の現れである——これは語順が示す構造であって、解釈の余地は小さい。

ところが日本語で「品質文化」と訳した瞬間、この関係は反転して読まれやすい。

「品質(を管理するため)の文化」——品質管理という目的のための手段として、文化を位置づけてしまうのだ。

英語の問題ではない。概念を輸入する際に起きる、読み違えの問題である。ここが最初の落とし穴だ。

そして文化は手順書には書けない。

SOP に「明日から品質を最優先に考えること」と一行加えても、誰の行動も変わらない。

文化は、トップの背中、職場の雰囲気、問題を報告した人がその後どう扱われたか——そうした無数の空気で形成される。海面下の九割を占める氷山の本体である。

この Quality Culture が一筋縄でいかない理由は、もう一つある。

日本はハイコンテクスト文化の国であり、暗黙知への依存度が高い。

一方、欧米はローコンテクストで、契約と職務記述書で動く社会だ。

欧米で設計された Quality Culture 施策をそのまま輸入しても、日本の組織にはそのままでは嵌まらない。

経営者の本音、上司の表情、職場の空気を従業員が敏感に読み取り、それで行動を決める——この前提に立った設計が要る。

ISO 13485 の 5.1(マネジメントのコミットメント)は、トップマネジメントのコミットメントを要求する。

コミットメントとは単なる約束ではなく、約束が守れなかった時に責任を取る覚悟である。

Quality Culture の発信源は、結局のところ経営者の覚悟にほかならない。

「Quality Culture を推進せよ」と部下に命じる前に、まず自分がそれを体現できているかを問うべきだ。

関連記事一覧