試験の品質は、たった一人に集約される
~GLPが生んだ「Study Director(試験責任者)」という思想~
ひとつの非臨床安全性試験には、実に多くの人が関わる。
プロトコルを設計する者、動物を扱う者、データを記録する者、統計を解析する者、報告書を書く者。関わる人が増えれば増えるほど、責任は薄まり、こぼれ落ちる。
「自分の担当はここまで」「あの判断は別の人が見ているはず」ーーそうして隙間に落ちたものが、やがて試験全体の信頼性を損なう。
GLP(Good Laboratory Practice)はこの問題に、ひとつの明快な答えを用意した。それが Study Director(SD、試験責任者)である。
SD とは何か。
FDA の 21 CFR 58.33 は、SD を「試験の技術的遂行、ならびに結果の解釈・解析・文書化・報告に関する全体的責任を負い、試験管理の単一の制御点(the single point of study control)を成す」者と定義している。
鍵は「single point(ただ一点)」だ。
試験という複雑な営みの責任を、組織やチームにではなく、ひとりの人間に集約する。
誰に聞けばこの試験のすべてが分かるのかーーその答えが常にひとりに定まっている状態を、GLP は意図的につくった。
SD の責任は、抽象的な「監督」ではない。
条文は具体的に列挙している。
プロトコル(およびその変更)が承認され、そのとおりに実行されること。
試験系が予期せぬ反応を示した場合も含め、すべての実験データが正確に記録され、検証されること。
試験の品質と信頼性に影響しうる予期せぬ事態が起きたら、その都度記録し、是正措置をとって文書化すること。
試験系がプロトコルどおりであること。
適用されるすべての GLP 規則が守られること。
すべての生データ・記録・プロトコル・標本・最終報告書が、試験の途中または終了時にアーカイブへ確実に移管されること。
注目してほしいのは、これらが「自分でやること」ではなく「そうなることを保証(assure)すること」として書かれている点だ。
SD は全工程を自分の手で行う必要はない。
むしろ大規模な試験では不可能だ。
SD の仕事は、各専門家がそれぞれの持ち場で正しく動き、その総体として試験が信頼に足るものになるーーその状態を成立させ、保証することである。
指示するだけでも、手を動かすだけでもない。
試験という一隻の船を、目的地まで責任をもって運ぶ船長だと考えると分かりやすい。
航海士も機関士もいる。しかし船がどこへ向かい、何が起きているかを最終的に把握し、責任を負うのは船長ひとりだ。
なぜここまで責任を一点に集めるのか。
GLP が生まれた背景を思い出すとよい。GLP は、非臨床安全性試験のデータの信頼性が問われた時代に「この試験結果は本当に信じてよいのか」という問いへの制度的な答えとして整えられた。
データの信頼性とは、突き詰めれば「誰がそれを保証するのか」という問いに行き着く。
責任が分散すれば、保証の主体も曖昧になる。
だから GLP は、保証の主体を明確に名指しした。それが SD だ。
試験ごとにただひとり指名され、開始から報告、アーカイブまでを貫いて責任を負う。
この思想は、GLP の世界にとどまらない。
医薬品開発でも、医療機器の設計開発でも、品質マネジメントシステムでも「この活動の責任者は誰か」を一点に定めることは、品質を成立させる前提条件である。
責任者が曖昧なプロジェクトは、必ずどこかで品質が漏れる。
逆に言えば、責任の所在をひとりに明確化できているかどうかが、その組織の品質成熟度を映す鏡になる。
明日からの業務で、ある試験やプロジェクトを前にしたら、ぜひ問うてみてほしい。
「この試験の single point of study control は、誰か」と。
その問いに即座に名前で答えられるなら、品質はすでに半ば保証されている。答えに詰まるならーーそれこそが、最初に手をつけるべき課題である。