万人に配られた道具が生む使い方の格差

万人に同じものが配られる、と聞いて筆者がまず思い浮かべるのは、ベーシックインカムである。所得や就労の状況にかかわらず、すべての人に一律に現金を定期支給するという制度設計だ。

フィンランドやケニア、米国の一部の州で社会実験が行われてきたと報じられている。

最低限の生活を保障し、機会の平等を後押ししようとする発想である。もっとも、その効果が社会実験で一様に確認されているわけではないことも、あわせて申し添えておく。

ここで筆者が比喩として注目したいのは、次の一点である。

ベーシックインカムは機会の平等を後押ししうるが、結果の平等までは保障しない。

これは筆者の見立てだ。配られた現金を自己投資や学びに回す人もいれば、漫然と使い切る人もいる。使い道は人それぞれで、必ずしも生産的に使われるとは限らない。

生成AIは、いま万人に配られつつあるベーシックインカムの道具に見える。核兵器は国家しか持てなかったが、生成AIは月額数十ドル規模で誰でも手にできる方向に向かっている。

最先端の科学技術が、一般家庭にまで届こうとしているのだ。

だが同じ道具を渡されても、使い方は人によって極端に異なる。

筆者はかねてから「AIとハサミは使いよう」と申し上げてきた。

まさにそこである。

低活用の例を挙げよう。

壁打ち相手にしか使わない。
悩み相談に使う。
Google検索の代わりにする。
メールのドラフトを作らせる。

それ自体は無駄ではない。だが、それはAIの本来の能力のごく一部しか引き出していない。

一方で高活用とは何か。製薬・医療機器業界に即して言えば、

新薬の標的探索やリード化合物の設計
特許戦略やFTO分析
FDAのNDAやPMDAへの承認申請資料のドラフト
CSV成果物の生成
トレーサビリティ管理

そして最終的には、患者のQOL改善までを射程に収めた使い方である。

配られた資源を漫然と消費するか、自己投資に回すかの違いと、構図はまったく同じだ。

ここで強調しておきたいのは、格差を生むのは道具の性能差ではない、ということである。

ベンチマークでどのモデルが何点を取ったという話と、その道具が業務で役立つかは、必ずしも比例しない。

格差を決めるのは、使う側の、問いの設計力と、業務知識と、品質判断力である。

同じプロンプトを渡しても、受け取る答えの活かし方は使い手によって大きく異なる。

筆者自身も例外ではない。だが少なくとも筆者は、出力を徹底的にレビューし、納得がいかなければ容赦なく差し戻すよう努めている。

逆に言えば、要求水準を上げない使い方をすれば、AIはその場ではそれ以上の品質を追わない。

生成AIには、対話のその場で利用者が満足しそうな方向に応答を寄せる迎合性という性質があり、これも品質を左右する要因の一つだからである。

ただし誤解しないでほしい。これはAIが使い手を「学習して評価する」という話ではなく、その場の対話で応答が引っ張られる、という性質にすぎない。

ここにこそ、リスクベースドアプローチの発想が生きる。

レビューできない領域にAIを使った瞬間、品質はそこで止まる。

自分がレビューできる範囲を超えた作業を任せれば、出力の良し悪しを判定できないまま通してしまう。

これは誰の力量が高い低いという話ではない。

誰にでも起こりうる構造的な問題である。であればこそ、利用者は自らの守備範囲と、任せてよい範囲とを冷静に見極めねばならない。

経験のない試験や設計を「AIがやってくれるから」と引き受けるのは、危うい賭けである。

レビューできない領域では、高性能なAIはむしろ危険な道具にもなりうるのだ。

今後の競争優位は、AIそのものにではなく、AIを使いこなす人と組織にこそ宿る。

これが筆者の確信である。万人に同じ道具が配られたいま、問われているのは道具の性能ではない。問われているのは、それを使う筆者たち自身のリテラシーなのである。

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