
医薬品製造記録における欄外記載、空欄放置の問題点
はじめに
医薬品製造において、記録文書は単なる書類ではなく、製品の品質を保証する重要な証拠である。特に製造記録(バッチレコード)は、医薬品が適切な手順で製造されたことを示す法的文書としての側面を持つ。しかし現場では、その重要性が十分に理解されず、欄外記載や空欄放置といった不適切な記録管理が散見される。本稿では、これらの問題点とそのリスク、そして適切な対応について解説する。
医薬品製造記録の意義
医薬品製造記録は、GMP(Good Manufacturing Practice:医薬品等の製造品質管理基準)が要求する重要な文書である。これは単に製造の履歴を残すだけでなく、以下の意義を持つ。
- 製造プロセスの適格性証明
- 製品品質の保証
- 問題発生時のトレーサビリティの確保
- 規制当局の査察への対応
- 製造プロセスの継続的改善のためのデータ源
これらの役割を果たすためには、記録の完全性、正確性、信頼性が確保されなければならない。
欄外記載の問題点
欄外記載とは、製造記録の所定の記入欄ではなく、余白や裏面などに情報を記載することである。この行為には以下のような重大な問題がある。
1. トレーサビリティの低下
所定の位置に記載されないことで、情報の追跡が困難になる。特に複数の担当者が関わる工程では、誰がいつどのような意図で記載したのかが不明確になりやすい。
2. 情報の見落とし
レビュー担当者が欄外記載を見落とすリスクがある。これにより、重要な情報が意思決定に反映されない可能性がある。
3. データの完全性への疑義
欄外記載は、後から追記された可能性が疑われやすい。これはデータの完全性に対する疑義を生じさせ、「データインテグリティ」の観点から問題視される。
4. 様式の不備の表れ
欄外記載が頻発する背景には、記録様式自体に不備がある場合が多い。必要な情報を記録するための適切な欄が設けられていないために、やむを得ず欄外に記載せざるを得ない状況が生じている。これは品質システム全体の設計に問題があることを示唆している。
5. 記載の属人化
欄外記載は担当者の判断に大きく依存するため、記録方法が属人的になりやすい。同じ状況でも担当者によって記載方法が異なれば、データの一貫性が損なわれ、分析や意思決定の正確性に影響を及ぼす。
6. 規制当局からの指摘対象
欧米の規制当局(FDA、EMAなど)は、欄外記載をGMPの重大な違反として扱うことがある。査察時の指摘事項(観察事項:Observation)となれば、企業の評価に直結する問題となる。
空欄放置の問題点
記録の項目を空欄のまま放置することも、以下のような問題を引き起こす。
1. 情報の曖昧性
空欄が存在すると、その項目に記載するべき情報が存在しないのか(例:該当する作業を実施しなかった、測定を行わなかったなど)、あるいは単純な記載漏れなのかが不明確になる。この曖昧性は、製造記録の信頼性を著しく低下させる。
2. 後付け記録のリスク
空欄が残されていると、後から情報を追記する余地を残すことになり、データの信頼性を損なう。このような追記は、当時の状況を正確に反映していない可能性があり、意図的な改ざんでなくとも、記憶に基づく不正確な情報が記録される可能性を高める。
3. プロセスの不完全性の示唆
空欄は、その工程が実施されなかった、あるいは記録されなかったこと(記載漏れ)を示唆する。これは製造プロセスの完全性と信頼性に疑問を投げかける。
4. レビュープロセスの形骸化
空欄が放置されたまま次工程に進むことは、レビュープロセスが適切に機能していないことを示す。これは品質管理システム全体の有効性に疑問を投げかける。
5. 規制当局の信頼喪失
空欄の存在は、規制当局の査察において、企業の品質に対する姿勢そのものを疑わせる要因となる。
適切な記録管理の実践
これらの問題を防ぐためには、以下のような実践が重要である。
1. 記録設計の最適化
記録様式自体を、必要な情報が適切に記録できるよう設計する。使いやすさと完全性のバランスを考慮した様式が理想的である。特に現場で欄外記載が頻発する箇所については、様式の見直しを積極的に行い、必要な情報が適切に記録できる欄を設けることが重要である。
2. 教育訓練の充実
記録の重要性と適切な記入方法について、定期的な教育訓練を実施する。特に「なぜ重要か」の理解を促すことが効果的である。
3. 明確なルールの確立
欄外記載が必要な場合の対応(例:訂正印を押す、理由を記載するなど)を明確に定め、周知する。また、記録の記載方法を標準化し、担当者による記載の違いを最小限に抑えるためのガイドラインを整備することで、属人性を排除する。
4. N/A(該当なし)の適切な使用
該当しない項目には空欄ではなく、適切に「N/A」と記載し、必要に応じて理由を添えることで、空欄の誤解を防ぐ。また、測定を実施しなかった場合は「Not Measured」、適用外の場合は「Not Applicable」など、具体的な理由を明記することで、単なる記載漏れとの区別を明確にする。
5. タイムリーなレビュー
記録作成後、速やかにレビューを行い、不備があれば即時に修正する体制を構築する。
GMP査察における視点
規制当局の査察官は、記録の欄外記載や空欄に対して、以下のような視点で評価する。
- 体系性: 問題は単発か、組織的か
- 重大性: 製品品質への影響度
- 意図性: 過失か、意図的な隠蔽か
- 再発性: 過去にも同様の問題があったか
- 是正措置: 問題発見後の対応は適切か
これらの視点を理解し、自社の記録管理を客観的に評価することが重要である。
まとめ
医薬品製造記録における欄外記載や空欄放置は、一見些細な問題に思えるかもしれないが、製品品質の信頼性を揺るがす重大な問題となりうる。適切な記録管理は、単なる規制要件の遵守ではなく、患者の安全を守るための基本的責務である。記録の完全性と正確性を確保するための組織的な取り組みが、医薬品製造業に求められている。
