
なぜ危害の発生確率に着目し、欠陥の発生確率ではないのか
医療機器のリスクマネジメントにおいて、リスクの定義は、
リスク = 危害の発生確率 × その危害の重大性
である。
ここで注意が必要なのは危害の発生確率であって、欠陥の発生する確率ではないということである。
一見すると、欠陥があればそれを改善すれば良いと考えがちであるが、実際のリスク評価はそれほど単純ではない。
本稿では、医療機器の国際規格ISO 14971に基づくリスクマネジメントの基本概念を紐解きながら、この疑問に答えていく。
リスクの定義とは何か
国際規格が示す「リスク」の本質
医療機器のリスクマネジメントの国際規格ISO 14971:2019では、リスクを以下のように定義している。
リスク = 危害の発生確率 × その危害の重大性 (Risk = Combination of the probability of occurrence of harm and the severity of that harm)
ここで重要なのは、単に「欠陥の発生確率」ではなく「危害(harm)の発生確率」である点だ。
なぜ「危害」に着目するのか
この定義には深い意味がある。医療機器において最も重要なのは「患者の安全」である。製品に何らかの不具合があったとしても、それが実際に患者や使用者に危害を与えなければ、リスクとしては低いと評価される。
例えば、体温計の表示が0.1℃ずれるという欠陥があっても、それが患者の治療に影響しない範囲であれば、危害には至らない。一方、ペースメーカーのわずかな誤動作は、直接的に生命に関わる危害につながる可能性がある。

危害の発生確率の構成要素
ISO 14971やFDA(米国食品医薬品局)のガイダンスでは、危害の発生確率を次の2つの要素の掛け算で表すことが一般的である。
危害の発生確率 = P1(欠陥の発生確率) × P2(欠陥が危害に至る確率)
P1:欠陥の発生確率
これは製品に何らかの不具合や故障が発生する確率を指す。例えば
- カテーテルの破損(1000本に1本の確率)
- 電子機器の誤動作(10万回の使用に1回)
- 滅菌包装の破れ(1万個に1個)
P2:欠陥が危害に至る確率
欠陥が発生した際に、それが実際に人(患者、医療従事者など)に危害を与える確率である。P2には以下の要素が含まれる。
- 使用状況:どのような環境で使用されるか
- 防護手段:安全機構が働くかどうか
- 暴露時間:どれくらいの時間、リスクにさらされるか
なぜ欠陥だけでは不十分なのか:実例で理解する
理由1:使用環境による影響の違い
同じカテーテルという医療機器でも、使用する部位によってリスクは大きく異なる。これは実際のリスクアセスメントで頻繁に用いられる典型的な例である。
脳血管用カテーテルの場合
- 欠陥発生確率(P1):0.1%(1000本に1本が破損)
- 危害に至る確率(P2):90%以上(破片が脳梗塞を引き起こす)
- 危害の発生確率 = 0.1% × 90% = 0.09%
大腸用カテーテルの場合
- 欠陥発生確率(P1):0.1%(同じ破損率)
- 危害に至る確率(P2):5%(多くは自然に排出される)
- 危害の発生確率 = 0.1% × 5% = 0.005%
同じ0.1%の破損率でも、実際の危害発生確率は18倍も異なる。これが、単なる欠陥率ではなく危害の発生確率に着目する理由である。
理由2:防護手段の存在
多くの医療機器には、欠陥が発生しても危害に至らないような防護手段が組み込まれている。これらはP2を大幅に低減する。
輸液ポンプの例
- アラーム機能:流量異常を検知して警告音を発する
- 自動停止機能:設定範囲を超えると自動的に停止
- 気泡検知センサー:空気が混入すると投与を中断
仮に流量制御に欠陥が発生しても(P1)、これらの防護手段により実際に患者に危害が及ぶ確率(P2)は大幅に低下する。
理由3:使用頻度と暴露時間の考慮
医療機器の使用頻度や患者への暴露時間も、P2に大きく影響する重要な要素である。
常時装着型機器(ペースメーカー)
- 暴露時間:24時間365日
- 欠陥が危害に至る確率(P2):高い
検査機器(X線装置)
- 暴露時間:検査時の数分間のみ
- 欠陥が危害に至る確率(P2):相対的に低い
実践的なリスク評価の例
実際のリスクアセスメントでは、系統的に評価する。
例1:輸液ポンプの流量精度不良
輸液ポンプに±10%の流量誤差が発生する欠陥があったとする。
インスリン投与の場合
- P1(流量誤差の発生確率):0.01%
- P2(危害に至る確率):80%(低血糖・高血糖のリスク)
- 重大性:高(意識障害、昏睡の可能性)
- リスクレベル:高
生理食塩水投与の場合
- P1(流量誤差の発生確率):0.01%(同じ)
- P2(危害に至る確率):1%(臨床的影響は限定的)
- 重大性:低(一時的な浮腫程度)
- リスクレベル:低
同じ欠陥でも、使用目的によってリスクレベルは大きく異なることがわかる。
例2:手術用メスの刃こぼれ
脳神経外科手術での使用
- P1(刃こぼれ発生確率):0.01%
- P2(神経損傷に至る確率):70%
- 重大性:極めて高(永続的な神経障害)
- リスクレベル:高
皮膚切開での使用
- P1(刃こぼれ発生確率):0.01%(同じ)
- P2(重大な危害に至る確率):5%
- 重大性:低(切開線の乱れ程度)
- リスクレベル:低
リスクマネジメントへの応用:ISO 14971に基づく実践
1. リスクマトリクスによる優先順位付け
限られたリソースで効果的にリスクを低減するには、リスクマトリクスを用いた優先順位付けが不可欠である。
危害の発生確率 重大性:低 重大性:中 重大性:高
高(>1%) 中リスク 高リスク 許容不可
中(0.01-1%) 低リスク 中リスク 高リスク
低(<0.01%) 許容可能 低リスク 中リスク
2. 多層的なリスク低減策
ISO 14971やGHTF(医療機器規制国際整合化会議)のガイドラインでは、以下のアプローチが推奨されている。
P1(欠陥発生確率)の低減
- 設計改善:より信頼性の高い部品の採用
- 品質管理強化:製造工程の管理向上
- 定期的なメンテナンス:予防保全の実施
P2(危害に至る確率)の低減
- 防護手段の追加:多重安全機構の実装
- 使用制限の設定:適応範囲の明確化
- トレーニングの強化:適切な使用方法の教育
重大性の低減
- 早期発見システム:異常の早期検知
- 被害軽減機能:危害を最小限に抑える設計
- 緊急時対応手順:迅速な対処方法の確立
3. 残留リスクの評価と受容可能性の判断
すべてのリスクをゼロにすることは現実的ではない。医療機器リスクマネジメントの基本は、残留リスク(residual risk)を評価し、それが受容可能かどうかを判断することである。
受容可能性の判断基準
- ベネフィット・リスク比:医療上の利益がリスクを上回るか
- 既存の代替手段との比較:他の治療法と比べてリスクは妥当か
- 社会的な受容水準:同様の医療機器で許容されているレベルか
まとめ:患者の安全を最優先にしたリスク評価
医療機器のリスクマネジメントにおいて、単なる欠陥の発生確率ではなく危害の発生確率に着目する理由は、最終的に重要なのは「患者の安全」だからである。
この考え方により
- 真に重要なリスクを特定できる
- 限られたリソースを効果的に配分できる
- 合理的な安全性を確保できる
ISO 14971に基づくこのアプローチは、世界中の医療機器規制で採用されており、患者により安全な医療機器を提供するための基盤となっている。リスクマネジメントの本質は、完璧を求めることではなく、科学的根拠に基づいた合理的かつ実効的な安全性を追求することにある。
医療機器の開発・製造に携わるすべての人が、この「危害の発生確率」という視点を持つことで、より安全な医療の実現に貢献できるのである。
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