21 CFR Part 11が生まれた経緯

1997年、米国食品医薬品局(FDA)は医薬品業界に革命をもたらす規制を発表した。それが「21 CFR Part 11」である。この規制は、電子記録と電子署名を紙の記録や手書き署名と同等に認めるという、世界初のペーパーレス規制要件として歴史に刻まれることになった。しかし、この画期的な規制はなぜ、どのようにして生まれたのだろうか。その背景には、業界と規制当局の対話、そして時代の要請があった。

1990年代初頭の医薬品業界:紙に埋もれる現場

1990年代初頭の医薬品製造現場を想像してほしい。製造記録、品質管理データ、分析結果、承認サイン——これらすべてが紙で管理されていた。巨大な書類保管庫には、何十年分もの記録が積み上げられ、特定の記録を探し出すだけで半日かかることも珍しくなかった。
当時、既にコンピュータシステムの導入は進んでいた。製造装置は自動化され、分析機器はデジタルデータを出力し、管理システムはデータベースで情報を管理していた。しかし、最終的には全てを紙に印刷し、手書きで署名し、ファイリングする必要があった。なぜなら、FDAの査察官が認めるのは「紙の記録」だけだったからである。
この状況は、製薬企業にとって大きな矛盾を生み出していた。デジタル技術の進歩により、より正確で効率的なデータ管理が可能になっているにもかかわらず、規制上の要件がそれを妨げていたのである。

業界からの声:変革への要望

この矛盾に最初に声を上げたのは、製薬企業自身であった。1991年頃から、複数の業界団体と企業がFDAに対して、電子記録と電子署名を正式に認める規制の策定を求め始めた。
彼らの主張は明確であった。電子システムには以下のような利点があると訴えた。

  • データの完全性向上:紙の記録は改ざんや紛失のリスクがある。一方、適切に設計された電子システムは、全ての変更履歴を自動的に記録し、誰がいつ何を変更したかを完全に追跡できる。
  • 効率性の向上:データの検索、集計、分析が瞬時に行える。査察対応も、必要な記録を即座に提示できるため、大幅に時間が短縮される。
  • コスト削減:紙の印刷、保管、管理にかかる膨大なコストを削減できる。
  • 環境への配慮:大量の紙の使用を削減することは、環境保護の観点からも重要である。

しかし、FDAは慎重であった。電子記録を認めることは、同時に新たなリスクも生み出す可能性があったからである。

FDAの懸念:安全性と信頼性の確保

FDAが電子記録の採用に慎重だった理由は、規制当局としての責任からくるものであった。医薬品の安全性と有効性を保証する記録は、絶対的な信頼性が必要である。電子システムには以下のような懸念があった。

  • 改ざんのリスク:デジタルデータは、技術的には紙よりも容易に改ざんできる可能性がある。悪意ある操作を防ぐ仕組みが必要である。
  • システムの脆弱性:コンピュータシステムは故障やウイルス攻撃、ハッキングなどのリスクにさらされる。
  • なりすましの危険:電子署名において、本人確認をどのように保証するか。
  • 長期保存の課題:医薬品の記録は数十年の保存が必要である。技術の進化により、古いシステムで作成されたデータが読めなくなる可能性がある。

対話と協議:規制案の策定プロセス

FDAは1992年7月、電子記録・電子署名に関する事前規制案通知(ANPRM:Advance Notice of Proposed Rulemaking)を公表し、広く意見を求めた。この段階から、業界、学術機関、技術専門家を含む幅広いステークホルダーとの対話が始まった。
寄せられた意見は53件に及び、その内容は多岐にわたった。1994年8月には、ANPRMへのコメントを踏まえた規制案(Proposed Rule)が公表され、さらに49件のコメントが寄せられた。技術的な実現可能性、セキュリティ対策の具体的方法、業務プロセスへの影響、コスト面での考慮など、現場の声が規制案に反映されていった。
特に重要だったのは、技術中立性の原則である。規制は特定の技術を指定するのではなく、達成すべきセキュリティと信頼性の基準を定めることに焦点を当てた。これにより、技術の進化に対応できる柔軟な規制となった。
1997年3月20日、FDAは最終規則として21 CFR Part 11をFederal Registerに公布し、同年8月20日に発効した。この規則は、電子記録と電子署名が紙の記録・手書き署名と同等であると認める、世界初の包括的な規制となった。

21 CFR Part 11の核心:何を求めているのか

最終的に制定された21 CFR Part 11は、以下の主要な要件を定めている。

電子記録の要件

電子記録システムは、正確で、完全で、信頼性があり、一貫性のあるものでなければならない。具体的には、全ての変更を監査証跡(Audit Trail)として記録し、誰がいつ何を変更したかを追跡可能にする必要がある。また、システムへのアクセスは適切に制御され、権限のない者による操作を防ぐ仕組みが求められる。

電子署名の要件

電子署名は、署名者の身元を確実に確認し、署名の真正性を保証するものでなければならない。これには、ユーザーID・パスワードの組み合わせに加え、必要に応じて生体認証などの多要素認証の使用も含まれる。また、電子署名は記録に恒久的に紐付けられ、後から切り離せないようにする必要がある。

バリデーションの実施

電子システムは、意図した通りに機能することを検証するため、適切なバリデーション(検証と妥当性確認)を実施する必要がある。これは、システムの設計段階から運用、保守に至るまで、全ライフサイクルにわたって適用される。

世界への波及:グローバルスタンダードへ

21 CFR Part 11の制定は、米国内にとどまらず、世界中の医薬品規制に影響を与えた。欧州、日本、その他の地域でも、これに準じた規制やガイドラインが次々と策定された。
欧州では、欧州医薬品庁(EMA)がEU GMP Annex 11(Computerised Systems)を1992年に導入し、2011年1月に大幅改定を行った。さらに、2025年7月には、クラウドコンピューティング、サイバーセキュリティ、AI技術などの新技術に対応するための改定案が公表されており、2026年の最終化が予定されている。
日本では、2005年4月1日に厚生労働省から「医薬品等の承認又は許可等に係る申請等における電磁的記録及び電子署名の利用について」(ER/ES指針、薬食発第0401022号)が発出された。これは21 CFR Part 11と同様の考え方に基づき、電子記録に求められる要件を「真正性」「見読性」「保存性」の3つの観点から整理している。また、e-文書法(2004年12月成立、2005年4月施行)および厚生労働省令第44号(2005年3月公布)により、医薬品医療機器等法に基づく文書の電子化が可能となった。
こうして、21 CFR Part 11は、医薬品業界における電子記録管理のグローバルスタンダードの礎となったのである。

実務への影響:パラダイムシフトの始まり

21 CFR Part 11の施行は、製薬業界に大きな変革をもたらした。企業は既存のシステムを見直し、新たな要件に適合させるための投資を行った。
初期段階では、多くの企業が対応に苦慮した。既存システムの改修、新規システムの導入、従業員の教育訓練、手順書の整備など、取り組むべき課題は山積みであった。しかし、時間をかけて対応を進めることで、徐々にその効果が実感されるようになった。
データの検索性向上により、査察対応時間が大幅に短縮された。監査証跡の自動記録により、データの信頼性が向上した。そして何より、紙の記録管理から解放されることで、従業員はより価値の高い業務に集中できるようになった。

課題と進化:規制の見直し

21 CFR Part 11は画期的な規制であったが、実施の過程で様々な課題も明らかになった。規制の解釈が企業によって異なり、過剰な対応を行うケースも見られた。
FDAは2003年9月、Part 11の適用範囲を明確化するガイダンス「Part 11, Electronic Records; Electronic Signatures – Scope and Application」を発行し、リスクベースアプローチの考え方を示した。全ての電子記録に一律の厳格な管理を求めるのではなく、記録の重要性に応じて適切なレベルの管理を行うべきであるという方針を打ち出したのである。
さらに2010年代に入ると、クラウドコンピューティングやモバイル技術の進化に伴い、新たな技術的課題が生じた。
FDAは継続的にガイダンスを更新し、時代の変化に対応している。
2024年10月には、臨床試験における電子システムと記録に関する最新のガイダンスを最終化し、デジタルヘルス技術(DHT)やAI技術の利用にも言及している。

今後の展望:デジタルトランスフォーメーションの加速

2025年現在、医薬品業界はさらなるデジタルトランスフォーメーションの波の中にある。人工知能(AI)、機械学習、ブロックチェーン技術などの新技術が、品質管理や製造プロセスに導入されつつある。
21 CFR Part 11が築いた電子記録管理の基盤は、こうした新技術の導入を支える土台となっている。AIによる異常検知システム、予測的品質管理、リアルタイムでのデータ分析——これらはすべて、信頼性の高い電子記録システムがあってこそ実現可能である。
また、規制当局自身もデジタル化を進めている。電子申請、電子査察、データの電子提出など、規制当局と企業の間のやり取りも電子化が進んでいる。さらに、FDAは2022年にComputer Software Assurance(CSA)ガイダンスを発行し、従来のComputer System Validation(CSV)からリスクベースのソフトウェア保証へのパラダイムシフトを推進している。

まとめ

21 CFR Part 11は、業界からの要望と規制当局の責任ある対応が結実した、歴史的な規制である。1990年代の紙に埋もれた現場から始まり、1991年の業界との対話開始、1992年のANPRM、1994年の規制案、そして1997年の最終規則公布を経て、世界初のペーパーレス規制要件として結実した。
この規制が生まれた背景には、単なる効率化の追求だけでなく、データの完全性向上、患者の安全性確保、そして持続可能な医薬品製造システムの構築という、より大きな目標があった。
重要なのは、21 CFR Part 11が単なる技術的な規制ではなく、医薬品業界の文化そのものを変革する触媒となったことである。紙からデジタルへの移行は、作業の効率化だけでなく、データに基づく意思決定、予防的な品質管理、そして継続的改善の文化を醸成した。
今日、私たちが安全で高品質な医薬品を手にできるのは、こうした規制の進化と、それに真摯に対応してきた業界の努力の賜物である。21 CFR Part 11の誕生から四半世紀以上が経過した今でも、この規制の精神——データの完全性、透明性、そして患者の安全性の確保——は、デジタル時代の医薬品規制の根幹をなしている。

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