
なぜソフトウェアリスクは発生確率を求めないのか
なぜソフトウェアはリスクの発生確率を求めないのか
医療機器や自動車、航空機など、人命に関わるシステムの開発において、リスクマネジメントは極めて重要である。しかし、ハードウェアとソフトウェアでは、リスクの評価方法に根本的な違いがある。特に注目すべきは、ソフトウェアのリスク評価において「発生確率」の定量的な評価が極めて困難であり、実務では重大性を重視する運用が主流となっていることである。
リスクマネジメントの基本概念
一般的なリスクマネジメントでは、リスクを以下の式で評価する。
リスク = 危害の重大性 × 発生確率
ハードウェアの場合、部品の経年劣化や使用環境による故障率を統計的に予測できる。例えば、電子部品であれば「10万時間に1回の故障」といった具体的な数値を算出することが可能である。
ソフトウェアの特殊性
ソフトウェアには、ハードウェアとは本質的に異なる特性がある。
1. 経年劣化しない
ソフトウェアは物理的な実体を持たないため、時間の経過によって劣化することがない。一度正しく動作したプログラムは、実行環境が変わらない限り、永続的に同じ動作を続ける。
2. 決定論的な動作
同じ入力に対して、ソフトウェアは必ず同じ出力を返す。これは確率的な要素が介在しないことを意味する。バグが存在する場合、それは特定の条件下で必ず発現する。
3. 複雑性の問題
現代のソフトウェアは膨大な行数のコードと、無数の実行パスを持つ。すべての組み合わせをテストすることは現実的に不可能である。例えば、わずか10個の独立した条件分岐があるプログラムでも、2^10 = 1,024通りの実行パスが存在する。
IEC 62304における考え方
医療機器ソフトウェアの国際規格であるIEC 62304では、ソフトウェアの安全性クラスを以下のように分類している。
- クラスA: 負傷または健康への被害なし
- クラスB: 重傷の可能性なし
- クラスC: 死亡または重傷の可能性あり
注目すべきは、この分類が「重大性」のみに基づいており、「発生確率」を考慮していないことである。
なぜ発生確率の定量的評価が困難なのか
1. 予測不可能性
ソフトウェアのバグがいつ発現するかは、使用者の操作パターンや入力データに完全に依存する。統計的な予測が困難である理由は、以下の通りである。
- ユーザーの使用パターンは千差万別
- 入力データの組み合わせは無限
- 外部システムとの相互作用が複雑
2. 0か1かの世界
ソフトウェアのバグは、条件が揃えば必ず発生し、条件が揃わなければ決して発生しない。この二値的な性質は、確率論的なアプローチになじまない。
3. 潜在的なリスクの扱い
発見されていないバグの存在確率を見積もることは不可能である。そのため、最悪のケースを想定してリスク評価を行う必要がある。
なお、理論的にはPoisson分布や指数分布を用いた確率モデルも存在するが、これらは主にバグの発見や修正の進行を観測するためのものであり、実運用でのリスク評価や安全性クラスの決定にはほとんど使われていない。IEC 61508-3の付属書でも「ソフトウェアに対して確率的手法を適用するのは非常に難しい」と明記されている。
実践的なアプローチ
発生確率を求めない代わりに、ソフトウェア開発では以下のような手法でリスクを管理する。
1. 徹底的なテスト
- 単体テスト、統合テスト、システムテスト
- 境界値分析、等価クラス分割
- ストレステスト、異常系テスト
2. 設計による安全性の確保
- フェイルセーフ設計
- 冗長性の確保
- エラー処理の徹底
3. プロセスの管理
- コードレビュー
- 静的解析ツールの活用
- 変更管理の徹底
医療機器開発への示唆
医療機器ソフトウェアの開発において、この考え方は極めて重要である。発生確率に頼らないリスク評価は、より保守的で安全側のアプローチとなる。
例えば、「まれにしか使われない機能だから」という理由でテストを省略することは許されない。その機能が患者の生命に関わる可能性がある限り、使用頻度に関わらず、最高レベルの品質保証が求められる。
まとめ
ソフトウェアのリスクマネジメントにおいて発生確率の定量的評価が困難な理由は、ソフトウェアの本質的な特性に起因する。決定論的でありながら複雑なソフトウェアの性質は、統計的な予測を困難にする。
IEC 62304が重大性のみでクラス分類を行うのは、この現実を踏まえた実践的なアプローチである。開発者は、発生確率という不確実な要素に頼るのではなく、最悪のケースを想定し、それに対する予防措置を講じることで、安全性を確保していく必要がある。
ソフトウェアの品質は、確率ではなく、開発プロセスの厳密さと、設計の堅牢性によって保証される。この認識を持つことが、安全で信頼性の高いソフトウェアを開発する第一歩となるのである。
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