なぜ日本へのFDA GMP査察はなくならないのか

日本の厚生労働省(厚労省)は2014年7月1日に医薬品査察協定・医薬品査察協力スキーム(PIC/S)に正式加盟した。この国際的な枠組みへの参加は、日本の医薬品製造品質管理(GMP)規制の国際調和と相互認証の促進を目指す重要なステップであった。しかし、オーストラリアなど他のPIC/S加盟国が米国食品医薬品局(FDA)と相互承認協定(MRA)を締結し重複査察の削減に成功している一方で、日本はいまだにFDAとのMRA締結に至っていない。その結果、FDAによる日本の製薬企業への査察は継続している。今回は、この状況の背景と要因を詳細に分析する。

PIC/S加盟の意義と期待された効果

日本が2014年にPIC/Sに加盟した主な目的は、加盟国間でのGMP調査結果の相互活用を促進することであった。これにより、以下のメリットが期待されていた。

  1. 国際的に調和したGMP基準の採用による品質向上
  2. 重複査察の削減による行政リソースの効率化
  3. 日本の医薬品の国際競争力強化
  4. 規制当局間の情報共有と協力体制の強化

PIC/S加盟により、日本の医薬品規制当局(PMDA)は国際的な医薬品品質管理の枠組みに正式に参画し、各国規制当局との情報交換や研修プログラムへのアクセスが可能になった。

先行事例:オーストラリアとFDAのMRA

オーストラリアの事例は、PIC/S加盟国とFDAとのMRA締結の好例である。オーストラリアとFDAのMRAは1990年代に締結され、2017年に更新されている。この協定により、オーストラリアの規制当局(TGA)とFDAは互いの査察結果を相互に認め、重複査察を大幅に削減している。同様の協定はEUとFDA間でも2017年に締結され、段階的に実施されている。

日本がMRAを締結できていない主な理由

1. 調査権者の多様性と査察の均一性の問題

日本の医薬品製造所に対する調査権者は、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)と47都道府県を合わせた計48機関に分散している。この体制は、世界的に見ても特異的であり、査察の質や品質システムの均一性を確保することが構造的に困難である。具体的な問題点として、

  • 都道府県ごとの査察経験や専門性の差異が存在する
  • 査察官のトレーニングや査察アプローチの統一が難しい
  • 査察結果の解釈や指摘事項の重大性判断に差が生じる可能性がある
  • 情報共有や査察知見の蓄積・活用が分散化している

FDAなど単一の調査権者を持つ国々から見れば、この分散型体制は品質保証の一貫性に疑問を投げかける要因となっている。PIC/S加盟後、PMDAは研修プログラムの強化などを通じて均一化に努めているものの、完全な均一性の実現には至っていない。

2. 規制の具体的な相違点

日米間のGMP規制には、表面的な調和にもかかわらず、具体的な運用面で重要な相違点が存在する。

  • データインテグリティに関する要求事項:FDAはデータの完全性に関して極めて厳格なアプローチを採用しており、電子記録システムの監査証跡や権限管理について詳細な要件を設けている。日本のGMP省令ではこれらの要件がより一般的な表現にとどまっている点が相違点である。
  • 無菌製造に関する基準:FDAは無菌医薬品の製造に関して、より詳細かつ具体的なガイダンスを提供している。特に、環境モニタリングや無菌操作の検証方法について、日本の基準よりも明確な要求事項を設けている。
  • バリデーションアプローチ:プロセスバリデーションに対するアプローチにも差異があり、FDAはより包括的なライフサイクルアプローチを要求している。

3. 米国市場の重要性と規制の厳格性

米国は世界最大の医薬品市場であり、日本の製薬企業にとって最重要輸出先の一つである。FDAは世界最大の医薬品市場を管轄する規制当局として、独自の高い基準を維持する姿勢を崩していない。特に、患者安全を最優先する観点から、外国製造施設に対する直接査察を重視する傾向がある。

4. 過去の具体的な品質問題事例

過去に一部の日本企業で発見された品質問題が、FDAの慎重な姿勢につながっている。具体的な事例として、

  • 2000年代後半から2010年代にかけて、複数の日本企業の製造施設においてデータ完全性に関する問題(データの改ざんや不適切な記録管理など)がFDA査察で指摘された。
  • 一部の無菌製剤製造施設において、微生物汚染リスクの管理不足が指摘された。
  • 製造プロセスの変更管理や逸脱管理に関する不備が見つかり、警告書(Warning Letter)が発行された事例もある。

これらの事例がFDAの信頼を完全に獲得するための障壁となっている。

5. FDAのリスクベースドアプローチと査察リソースの配分

FDAはリソースの制約の中で効率的に査察を実施するため、リスクベースドアプローチを採用している。このアプローチでは、以下の要素に基づいて査察の優先順位が決定される:

  • 製品の重要度(ハイリスク製品か否か)
  • 過去の査察履歴と指摘事項
  • 市場での製品の普及状況
  • 品質問題の報告件数

日本企業の製品、特に無菌注射剤やバイオ医薬品など重要度の高い製品が米国市場で広く使用されている場合、FDAの査察優先度は高くなる。

日本とEUのMRA拡大:参考となる事例

対照的に、日本とEUは2016年に既存のMRAを拡大し、GMPの相互承認範囲を拡大した。この成功事例は、効果的な規制調和と相互信頼構築が可能であることを示している。この協定により、日本とEU間では多くの医薬品カテゴリーで重複査察が削減されている。ただし、EUとの関係においても、日本の分散型査察体制の課題は存在しているが、段階的な信頼構築により克服されてきた経緯がある。

今後の展望:MRA締結への道のり

日米両国は医薬品規制に関する対話を継続しており、将来的なMRA締結の可能性は残されている。これを実現するためには以下の取り組みが重要である。

1. 規制調和の更なる推進と査察体制の均一化

日本の規制当局は、FDAの要求事項との差異を埋めるため、特にデータインテグリティや無菌製造に関するガイダンスの詳細化や明確化を進める必要がある。また、PMDAと都道府県による査察の均一性を高めるため、査察官の共通トレーニングプログラムの拡充、査察手法の標準化、査察結果の一元管理システムの強化が不可欠である。国際共同査察への積極的な参加も有効な手段となる。

2. 透明性と情報共有の強化

両国規制当局間での査察結果や品質問題に関する情報共有を強化することで、相互信頼を構築することが重要である。また、査察プロセスの透明性を高めることで、双方の規制アプローチへの理解を深めることができる。国内の48調査権者間の情報共有システムを強化し、査察知見や指摘事項の解釈を統一することも重要な課題である。

3. 日本企業の取り組み

日本の製薬企業は、FDAの厳格な基準に適合する品質システムの構築と維持に引き続き注力する必要がある。特に、データインテグリティ、無菌製造、変更管理といった重要領域に焦点を当てた継続的な品質改善が求められる。また、都道府県とPMDAの両方の査察に対応できる統一された品質システムの構築も重要である。

4. 段階的アプローチの検討

EUとFDAのMRAのように、特定の製品カテゴリーや特定の査察項目から段階的にMRAを構築していくアプローチも検討に値する。例えば、PMDAのみが査察を担当する製造所や特定のリスク区分に限定したMRAから始めて、徐々に範囲を拡大していく方法が現実的かもしれない。

結論

日本のPIC/S加盟は医薬品品質規制の国際調和における重要なマイルストーンであったが、FDAとのMRA締結には更なる努力が必要である。規制の細部における相違点、48もの調査権者による査察の均一性の問題、過去の品質問題、市場の重要性といった要因が、FDAが日本の製薬企業に対する査察を継続する背景にある。
しかし、日本とEUのMRA拡大の成功事例が示すように、適切な規制調和と相互信頼の構築により、MRA締結は達成可能な目標である。厚労省・PMDAと都道府県の査察体制の均一化、FDAとの継続的な対話と協力関係の強化、そして日本企業の品質向上への取り組みが、将来的なMRA締結への道を開く鍵となる。
その実現により、重複査察の削減、規制リソースの効率化、そして最終的には患者への高品質な医薬品の安定供給という共通目標の達成が期待される。

関連商品

関連記事一覧