5.4 ユーザビリティエンジニアリング
医療機器のユーザビリティエンジニアリングは、製品の安全性と有効性を確保するために不可欠なプロセスです。使用に関連するリスクを最小化し、ユーザーインターフェースの最適化を通じて、使用エラーによる危害の可能性を低減するための体系的なアプローチです。
5.4.1 IEC 62366の要求事項
IEC 62366「医療機器-ユーザビリティエンジニアリングの医療機器への適用」は、医療機器のユーザビリティについての国際規格であり、開発プロセスにおけるユーザビリティの考慮方法を規定しています。
IEC 62366の基本概念
用語 | 定義 |
---|---|
ユーザビリティ | 有効性、効率および使用者満足度を特定の使用状況で達成するための特性 |
使用エラー | 使用者の行為または行為の欠如が、設計者の意図または使用者の期待とは異なる結果を生じること |
ユーザーインターフェース | 医療機器と使用者との間の情報交換のための手段 |
使用仕様書 | 正しい使用および合理的に予見可能な誤使用の仕様 |
IEC 62366の主要要求事項
- ユーザビリティエンジニアリングプロセスの適用
- ユーザビリティ計画の作成
- 使用仕様書の作成
- ユーザーインターフェースの評価とテスト
- ユーザビリティ検証の実施
- 使用状況の特定
- 意図する医療目的
- 患者集団
- 使用者プロフィール
- 使用環境
- 操作原理
- ユーザーインターフェース仕様の作成
- 一次操作機能の特定
- 頻繁に使用する機能の特定
- アラーム・警告・注意事項の特定
- 危害に関連する使用シナリオとハザードの特定
- 使用エラーの特定
- 使用に関連するハザードの特定
- リスクコントロール手段の特定
- ユーザーインターフェースの評価
- フォルマティブ評価(設計中の形成的評価)
- サマティブ評価(最終検証)
- ユーザビリティエンジニアリングファイルの作成
5.4.2 ユースケースとユーザー要求の特定
ユーザビリティエンジニアリングの最初のステップは、医療機器がどのように使用されるかを理解し、ユーザーの要求を明確にすることです。
使用状況分析の要素
- 意図するユーザープロフィール
- 職業・専門性(医師、看護師、患者、一般使用者など)
- 教育・訓練レベル
- 言語・文化的背景
- 身体的能力・制限(視力、聴力、運動能力など)
- 経験レベル(初心者、熟練者)
- 使用環境
- 物理的環境(照明、騒音、温度、スペース)
- 社会的環境(複数使用者、緊急時など)
- 衛生条件(清潔区域、手袋着用など)
- モビリティ(固定使用、移動時使用)
- インフラ(電源、ネットワークなど)
- 使用シナリオ
- 通常使用
- メンテナンス・洗浄
- トラブルシューティング
- 緊急使用
- 患者間の再使用
ユーザー要求の収集方法
方法 | 説明 | 適用タイミング |
---|---|---|
インタビュー | 直接ユーザーから情報収集 | 初期要求収集、詳細情報収集 |
観察調査 | 実際の使用状況を観察 | ユーザーの無意識行動の理解 |
フォーカスグループ | グループディスカッション | 複数の視点を収集 |
アンケート | 構造化された質問形式 | 広範なデータ収集 |
タスク分析 | ユーザー行動の詳細分析 | タスクの複雑さ理解 |
コンテキストシナリオ | 物語形式での使用描写 | 使用状況の全体像理解 |
使用仕様書の作成
使用仕様書はユーザビリティ設計の基礎となる文書で、以下の内容を含めます:
- 医療機器の意図する使用目的
- 患者集団の特徴
- 体に接触する部分
- ユーザープロフィールと能力
- 使用環境の特性
- 操作原理
- 頻繁に使用する機能
- 安全に関わる機能
- 既知の使用問題
- 合理的に予見可能な誤使用
5.4.3 ユーザビリティ仕様の作成
ユーザビリティ仕様は、ユーザーインターフェースの設計要件を定義するものです。これには、インターフェースの機能的要件だけでなく、ユーザビリティ目標も含まれます。
ユーザビリティ仕様に含めるべき要素
- 一次操作機能(Primary Operating Functions)
- 安全に直接関わる機能
- 頻繁に使用する機能
- 使用エラーリスクの高い機能
- ユーザーインターフェース要素
- 物理的インターフェース(ボタン、スイッチ、レバーなど)
- 視覚的インターフェース(ディスプレイ、インジケータなど)
- 聴覚的インターフェース(アラーム、音声案内など)
- 触覚的インターフェース(振動、形状識別など)
- ユーザビリティ目標
- 学習容易性の基準
- 効率性の基準
- エラー発生率の許容値
- 記憶のしやすさの基準
- 主観的満足度の基準
- アクセシビリティ要件
- 身体的制限への対応
- 認知的制限への対応
- 言語・文化的配慮
ユーザーインターフェースの設計原則
原則 | 説明 | 医療機器への適用例 |
---|---|---|
一貫性 | 類似機能は類似インターフェースで表現 | 同一メーカー製品間の操作方法統一 |
可視性 | 機能の状態や操作方法を明示的に示す | 明確なステータス表示、操作手順表示 |
フィードバック | 操作の結果を即時通知 | 操作確認音、完了表示、エラーメッセージ |
マッピング | 操作と結果の自然な対応関係 | 流量増加は上方向、減少は下方向など |
制約 | 誤操作を物理的/論理的に制限 | 接続ミス防止設計、危険操作の二段階確認 |
許容度 | エラーからの回復を容易にする | 操作取消機能、確認ダイアログ |
簡素化 | 複雑さを最小化 | 重要機能の優先表示、不要機能の省略 |
ユーザーインターフェース仕様書の構成例
- 機器概要と使用目的
- ユーザープロフィールと使用環境
- タスク分析と操作フロー
- 一次操作機能の定義
- ユーザーインターフェース要素の仕様
- 表示要素(ディスプレイ、LED等)
- 入力デバイス(ボタン、タッチスクリーン等)
- ラベルとマーキング
- 聴覚信号(アラーム、警告音等)
- ソフトウェアインターフェース仕様
- 画面レイアウト
- ナビゲーション構造
- 情報表示階層
- 警告・注意メッセージの設計
- ユーザビリティ目標と評価基準
5.4.4 ユーザビリティ検証と妥当性確認
ユーザビリティの検証と妥当性確認は、設計プロセス全体を通じて継続的に行われるべき活動です。これには、フォルマティブ評価(設計の途中段階での評価)とサマティブ評価(最終的な検証)の両方が含まれます。
フォルマティブ評価(形成的評価)
フォルマティブ評価は、設計プロセスの早い段階から反復的に行われる評価で、設計を改良するためのフィードバックを得ることを目的としています。
フォルマティブ評価の方法:
評価方法 | 特徴 | 適用タイミング |
---|---|---|
ヒューリスティック評価 | 専門家によるUI原則に基づく評価 | コンセプト設計、初期プロトタイプ |
認知的ウォークスルー | タスク完了の思考プロセス分析 | 詳細設計、プロトタイプ |
ペーパープロトタイピング | 紙ベースでのUI設計評価 | 初期コンセプト段階 |
低忠実度プロトタイプテスト | 簡易的な機能実装での評価 | 初期〜中間設計段階 |
高忠実度プロトタイプテスト | 実際に近い機能実装での評価 | 中間〜後期設計段階 |
Think-aloud法 | 使用中の思考を声に出す評価 | プロトタイプテスト全般 |
サマティブ評価(総括的評価)
サマティブ評価は、設計が完成に近づいた段階で、ユーザビリティ目標の達成を検証するために行われる評価です。これは通常、実際の使用環境に近い条件で行われます。
サマティブ評価の要素:
- 評価計画書の作成
- 評価目的と評価基準の設定
- 参加者(ユーザー)の選定基準
- テスト環境の設定
- タスクシナリオの定義
- データ収集方法の規定
- 成功基準の設定
- ユーザビリティテストの実施
- 代表的なユーザーによる実機評価
- 実際の使用環境に近い設定
- 典型的なタスクの実行
- パフォーマンス測定(完了時間、エラー率など)
- 主観的評価(満足度、使いやすさなど)
- 結果の分析と報告
- 定量的データの統計分析
- 定性的データの傾向分析
- 使用エラーパターンの特定
- リスク分析との関連付け
- 残存問題の評価
- 改善提案(必要な場合)
ユーザビリティ検証の実施例(輸液ポンプの場合)
評価項目 | 評価方法 | 成功基準 | 結果 |
---|---|---|---|
流量設定 | 代表的シナリオでの操作時間測定 | 30秒以内に正確に設定完了 | 平均25秒で達成 |
警報認識 | アラーム発生時の対応時間と正確さ | 10秒以内に原因特定、20秒以内に対応 | 平均12秒で特定、18秒で対応 |
設定確認 | 設定値の確認操作の実施率 | 投与前に95%以上のユーザーが確認実施 | 98%が確認実施 |
エラー回復 | 一般的エラー発生時の回復時間 | 60秒以内にエラーから回復 | 平均45秒で回復 |
学習性 | 初回使用後の再使用での操作時間 | 初回比30%以上の時間短縮 | 38%の時間短縮達成 |
5.4.5 ユーザビリティエンジニアリングファイルの作成
ユーザビリティエンジニアリングファイル(UEF)は、医療機器のユーザビリティエンジニアリングプロセスの記録を集めた文書セットです。これは規制当局への提出資料としても重要です。
ユーザビリティエンジニアリングファイルの構成
- ユーザビリティエンジニアリング計画書
- プロセスの概要
- スケジュールと責任者
- 適用規格と方法論
- 評価活動の計画
- 使用仕様書
- 使用目的
- ユーザープロフィール
- 使用環境
- 使用シナリオ
- 合理的に予見可能な誤使用
- ハザード分析と使用エラー関連リスク
- 使用関連ハザードの特定
- リスク分析結果
- リスクコントロール手段
- ユーザーインターフェース仕様
- 一次操作機能
- UI要素の詳細仕様
- デザイン原則とガイドライン
- フォルマティブ評価記録
- 評価計画と手法
- 参加者情報(匿名化)
- 結果と分析
- 設計変更への反映
- サマティブ評価報告書
- 評価計画と手法
- 参加者特性と選定基準
- タスクシナリオ
- 定量的・定性的結果
- ユーザビリティ目標への適合性評価
- 残存リスクの評価
- トレーサビリティマトリクス
- 使用関連ハザード→リスクコントロール→検証のマッピング
ユーザビリティエンジニアリングファイルの作成ポイント
- 文書化の要点
- 各評価活動の目的と方法の明確な記述
- 意思決定の根拠の記録
- 評価参加者の適格性の証明
- 評価結果と設計変更のつながりの明示
- 残存問題と受容根拠の説明
- 規制対応の考慮点
- 各国規制要件の確認(FDA、MDR、PMDAなど)
- 人間工学的要素の適切な文書化
- リスクマネジメントとの整合性確保
- 設計検証・妥当性確認との関連付け
- 開発効率化のためのポイント
- テンプレートとチェックリストの活用
- 文書階層の合理的な構成
- 過去の類似製品の経験活用
- 文書更新履歴の適切な管理
スタートアップ企業向けのユーザビリティエンジニアリング実施ポイント
開発段階 | 実施活動 | リソース最適化のポイント |
---|---|---|
企画段階 | ユーザーニーズ調査、使用状況分析 | 既存製品ユーザーへのインタビュー活用、文献調査の徹底 |
概念設計 | ユーザビリティ目標設定、初期UI検討 | ペーパープロトタイピングの積極活用、早期専門家レビュー |
詳細設計 | UI仕様作成、フォルマティブ評価 | 少人数での反復評価、臨床専門家の効果的活用 |
検証段階 | サマティブ評価、UEF作成 | 重要タスクへの集中、効率的な被験者リクルート |
市販後 | 使用状況モニタリング、改良点収集 | ユーザーフィードバック収集システムの構築 |
ユーザビリティエンジニアリングは、医療機器の安全性と有効性を確保するための不可欠なプロセスです。特に使用エラーが重大な危害につながる可能性がある医療機器では、設計の早期段階からユーザーの視点を取り入れることが極めて重要です。適切なユーザビリティエンジニアリングプロセスの適用により、使用に関連するリスクを効果的に低減し、ユーザー満足度の高い製品を開発することができます。